︰力を込めて
ロマンチックにはなれない。
ロマンチックなこととは程遠い日常である。眼鏡コンタクトがなければ大きな文字も読めないし、鬱とは関係なく常に服用していないと身体のコントロールすらできない。どんどん視力は落ち、痛みも年々増し、アイデアは浮かんでこない。キーボードを打とうとすると指が震え、ペンを握っても震え、使い勝手の悪い手になった。長い間無口で表情筋を動かしていなかったからか頬はたるみ愛想笑いをしただけでつって、腹から笑うこともぶきっちょになった。
「ちゃんと笑っていますよ」アピールに必死でなんとも演技かかっているし胡散臭い。ならばいっそ飾らない自分でいれば良いのに「そんなんじゃ相手が困ってしまうだろうからダメだよ」なんて律儀に勝手な想像をして引っ込めている。早くリアクションしなければならないと焦り大袈裟に笑ったり悲しんでみたり、頭の回転が追いついていないというのに喋り始めて、大抵空回っている気しかしない。
頭の回転が遅い。前は気力でなんとかしていたのだと思う。常に焦燥感に駆り立てられてアレもコレも必死になってやって。常に高い心拍数に一瞬でも意識を向けると途端に息苦しくなる。前はそれでも上手くかわせていたらしい。どうやって?分からない。
一度なってから癖づいているんだろう。こちらとしてはよくあることで、大きく息を吸って吐いてを繰り返し落ち着くのを待つだけだが、端から見れば過呼吸になっている人に見えるみたいだ。「誰かに連絡?救急車?迎えに来てもらう!?」そんな大事にしなくともほっときゃおさまりますよ、なんて減らず口を叩けるのは頭の中のみで、実際には申し訳なく情けなく涙がじんわり滲み出てくるのですら情けなくて、最終的に行き着くところ「なんて面倒臭いんだろう」。土壇場でめんどくさくなることは良くある。
実に面倒臭い。まともに息すらできないことも、人といるときにそんなことになるのも。対策として誰とも一緒に出掛けない、誰かと出掛けるときには事前説明する、なんてのもあると思うが、ああもうどれも面倒臭い。誘われたのを断るのも面倒臭ければ行くのも面倒臭いし説明するのも面倒臭い。じゃあ一生部屋から出なければいいじゃないかって、現実的に考えて無理なことも流石に分かる。
面倒臭いというより虚しい。元気よくうん!と返事して、何事もなく外出を楽しんで、普通に家に帰ってくるたったこれだけのことが出来ない。虚しいなんて実感したくもないから「面倒臭いなぁ」とぼんやり包み込んでしまう。
惨めという言葉が似合いだ。ああ嫌だな、惨めだなんて信じたくもない。時間だけが過ぎていく。
無表情無口でいたい。話すペースも何秒かの間がほしい。頭の中でじっくり考えてから返事をしたい。でもそれじゃまるで無視をしているみたいになってしまうし、反応が薄いと人は不安になってしまうし、だから早く……って、それがもうできそうにないのだ。
元気がないのがデフォルトですから元気がなさそうだと心配しないでほしい。メッセージで絵文字を使ったり元気な口調なのは頑張ってやっているだけで基本的に文章だって淡白な方だ。笑ったりすることも少ない。色んなことに反応が薄くて話をされてもその場では「へぇ」しか浮かんでこない。持ち帰って吟味しなければ自分が何を感じたのかも分からない。「今って楽しいの?悲しいの?しんどいの?楽しいの?怒ってるの?」と聞かれても、分からないとしか答えられないほど頭の回転が錆びまくっている。
「相手に合わせるのをやめたら?それで勝手に自滅してるだけでしょ?」ごもっともだ。じゃあ、もう何もかもしなくてもいいか?笑わず、反応も薄く、メッセージの文章は硬く、何考えてるか分からない――
――いや、それでいいんじゃないか。なまじ人に気を遣う人間だったからそうしていただけで、もう今はいいんじゃないか。やめよう、こんなアホくさいこと。自滅しているだけじゃないか、アホくさい。人間常に一定ではないし、昔と今じゃ変わることだってある。それが嫌だと言われるならそれで別にいい。
前からずっとそうだった。ずっと偏屈な奴だった。人と馴染んで生きていくにはハードルがいくつもあった。蹴飛ばす勇気もなかった。指をさされたくはなかったから、批判されるのが嫌だったから。逆にいるのか?指さされて喜んで批判されて幸せになる人。いるならいっそ羨ましい、その精神伝授してほしい。
大事なことには変わりないんだろうが、中途半端人との調和が大事なんだと思ってしまった。向いてないのに。向いてないなら別の方法を探す他ないし、自分に合ったやり方、気持ちの落とし所を見つけるしかない。
何かに頼らないと生きていけないのだ。眼鏡もコンタクトも薬もなければ普通に生きてなんていけない。靴がなければ出歩けないし、時計がなければ時間が分からない。仕方がないこと、当たり前のようなこと。身長は変えようがないし、アレルギーは治らないし、いらない臓器や体のパーツも病気にならない限り取り除けない。割り切って生きていくしかないことはきっとたくさんある。嫌なら死ぬしかない。死ねないなら生きるしかない。かと言って生きれもしないなら対策するしかない。方法を見つけるしかない。心の根っこにあるものもきっとそうそう変わられない。変えられたとしてもそう簡単なことではないだろう。受け入れる他ない。
甘い菓子が食べたい。苺がたくさん乗ったケーキが食べたい。美味しい紅茶を淹れたい。それから流星を見て眠りにつきたい。清々しい朝空を見て、部屋の窓を開けて新鮮な空気を入れこんで、こんがり焼いた食パンを食べたい。作業して、コーヒーブレイクを挟んで、充実した一日を過ごして、19時には夕飯を食べて、湯船に浸かって眠りたい。
無理だ。ゴミ屋敷が似合いだよ。ままならないというよりロマンチックな日常を思い浮かべるだけで重苦しくなってしまう。時間通りに生活するなんて苦痛以外の何物でもない。ルーティーン通りに事を運べなかったときのストレス度が半端なかった。「こんなこともできないのか!」と「こんなこともできないんだ」の苛つきと悲しみで心がぶっ壊れて泣いた。意味が分からない。
ロマンチックとは程遠い日常を送っている。やめたほうが気楽なことはある。手放すほうが楽になることはある。体が重くて時間通りに動けないならルーティンは作らないほうが身のためだと思うし、薬に頼るなんて嫌だと思ったって頼ったほうが調子がいいなら頼るほうが良いし、紅茶は飲みたいときだけ飲めばいい。数分待つのが面倒臭いならティーバッグをジャボジャボ揺すってしまってもいい。やっぱりそれはやめておいた方がいいかもしれない。2分3分くらい待っておけ。
やめよう。分かりにくい人だと思われるのはきっと自分が変な上辺を作っているからだ。やめよう。とはいえありのままで人と関わることなんてほぼ不可能だし、本音と建前は使い分けた方が人間関係円滑になるのは事実だからそこはやめない。しかしできないことを無理矢理すると余計心が蝕まれ悪化するし、勝手に幻想を抱かれて勝手に幻滅されやすい。やめよう。
儚くもなければお上品でもないしましてや聖人でもなければ天使でも何でもない。打たれ弱いし精神が脆いが故に加害されたくないなら人当たりは良くして温厚に見せかけているが、基本キレ症でキャパは少なくすぐ舌打ちをしたくなる小物人間だ。己の人間性もロマンチックにはなれない。
10/7/2024, 4:45:58 PM