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この骨身に厭がらせかと思へるくらいの雪である。まったく莫迦にしているらしい、嗚呼、人生への悔恨さへおれは抱かないのだ。畜生。おのが身と吐いた息しかおれはとんと持ち合わせていない。どころかおれの肺を出た瞬間から息さえおれのものではない。考へても考へても凍えるばかりで如何にもならぬものよ、なア、パン屑を齧つてゐる其処のおまへ!それ見ろ、恰度まなこの端で紅い南天の実が雪の重みで揺れてゐるぢゃあないか。あれはおれだ。世の憎しみやら何やらを一身に背負っているのだ。可哀想とは思わぬかと問ふのさゑ愚かだ。.......何とも耐え難ひ屈辱である。



けふもあめが土砂降りだ
わたくしのおとつい触れた松の木も
疎らに揺れてゐる
コンクリイトに突き刺さつた針にも似てゐる
遠き西の国の港より
ごう、ごう、ごごう
と響く波の音を運んできたあめ
その偉大さにわたくしたちは
平伏せねばなるまい

噫、慈雨!

地球の飛沫を一身に浴びた
さざんかの顔ばせは慎ましく、
且つ小娘のやうに華やかで
恋と愛とを混同しがちな
いとけなささへ持っていた
わたくしがこの身に飛沫を浴びれば
このさざんかに頭が上がらぬことだらう
何の故にわたくしの指先が悴んで
赤子の頬に似た色に成るのか
わたくしは知りもしないが
ただひとりはしつてゐる
このあめだけはしつてゐる
踵を鳴らした小娘の
くちびるを潤したこのあめだけは

噫、慈雨!
慈雨よ!

あなたこそ母なのだ
まじりけのない母なのだ



とほくに見えし山々の
暮靄に沈みしもみぢかな
踏みし枯葉は音立てて
君の耳へと届きけり
われの心の秋の野の
焦がれ燃ゆるはもみぢかな
迷えし羊の手を取りて
君は往く道を教へけり
畦道を歩く君の背を
われ独り追ひし面影は
呪いとも呼ぶ恨めしさ
果ては陽炎か据か
ながるゝみづはうすらひを
くだきて君を思ひたり
われは花と共に咲き散つて
も一度春を待つてゐる
君は来ぬかと待つてゐる
捉へれば逃せぬまたゝきを
延々春を待つてゐる
君は来ぬかと待つてゐる

6/8/2023, 5:58:06 PM