【ひなまつり】
私はひな祭りの日が嫌いだった。
7、8歳の頃だっただろうか。私はひな祭りの日に大きな事故に遇った。内容はというと、大型トラックに撥ねられ、集中治療室で5時間の手術を受けるほどの怪我を負ったのだ。私はその時の事をしっかりと覚えている。
あれは7歳の頃、帰りの音楽が流れた時だったろうか。私は家から横断歩道を渡り、少し歩いた所の公園で一人遊んでいた。当時は私も素直な子だったので、帰りの音楽が流れたら直ぐに家に帰っていた。その日も例外はなく、帰りの音楽が流れたら直ぐに家に直行した。信号が青な上、普段、家の前の横断歩道はあまり車が通らないから完全に油断していたのだろう。私は周りを見ずに走って横断歩道を渡っていた。とその時、大きなクラクションと光が私の視界と耳内を支配すれば、途端に私の体は宙に舞った。体中物凄く痛くて、耳鳴りがした。声も出せず耳を聞こえない。幼かった私でも、車に撥ねられたんだと即座に理解した。数秒して車の運転手と母らしき人が私を囲ったが、私の意識はそこで途切れた。そこからはあまり覚えて居らず、私が気を失っている間、私は大学病院の集中治療室に居たらしい。
私が怪我の治療、リハビリの為に病院に入院している間、机の上に置いてあったのは可愛いぬいぐるみなどではなく、不気味な真っ白の顔をした我が家の家宝である雛人形。夜は怖いし、変に目は合うし、可愛くないしで、幼かった私は何故そこに雛人形が置いてあったのか、理解が出来なかった。だが、今は理解出来る。
お母さんによると、私が集中治療室で治療を受けた後、ずっと私の傍に家宝である雛人形を置いていたそう。御先祖様や神様が、私の命を救って頂いたと思い、病室の机に置いたんだとか。
その話は本当の様で、怪我の途中経過や治りもスムーズに進んで、後遺症と言えば左足の感覚麻痺のみだった。それも、医者の話によれば車椅子生活も視野に入れる。と話していたらしい。だがその車椅子生活にならなかったのも正しく奇跡だと医者もお母さんも言っていた。
きっと、雛人形に御先祖様や神様が宿っていると思っている人は少ないかもしれない。けれど私は信じ続ける。だってあの日は御先祖様や神様に救われたのだから。
3/3/2023, 12:54:44 PM