My Heart
「エス」と私を呼ぶ声がする。
狭い空間内でいくつもの機械音が響き渡り、天井にぶら下がる照明が煌々と輝いた。
目の前の扉が開かれ、白衣を着た男のシルエットが目に入る。
「マスター」
彼女がそう言うと、男は顔を見て微笑んだ。コンクリートでできた地面を超えて、すぅっと部屋に入ってくる。
わき目もふらずにデスクへ向かうと、パネルに向かって何やら操作をし始めた。
男が最後のボタン押すと、空気が縮むような音を立てて、体に付けられた装置が外れていく。
段々と頭の中がクリアになっていき、目を見開くと、目の前には“15時36分”と表示された。
そう、彼女は精巧に作られたアンドロイドであった。
「おはよう、エス」
「おはようございます、マスター。差し支えなければお答えします」
「『おはよう』と言うことは、相手に朝の挨拶をする意思を示します。一般的に、朝の時間帯(午前5時から午前11時頃)に使われるのです」
ですので、と彼女は言葉付け足す。
「正確には『こんにちは』が正解かと」
彼女が無機質に言い放すと、「ふふ」と彼が笑う。
白衣を揺らしながら、書類まみれの上に置かれたコーヒーを手に取ると、何度かカフェインを啜った。
寝ていないのですか、と質問すると、生返事と共に「寝てるよ」なんて返答が返ってくる。
寝不足なのだろう。彼の目の下にはくっきりと隈が残っていた。
「寝不足は体に悪影響を及ぼす可能性があります」
「生物に睡眠は大切です。無理をせずに休む時間を確保してください」
「うん」
目の前の白衣を着た男は目を伏せて、カルテに筆を走らせる。
マスター、と彼女が説得していると「サイボーグにでもなろうかな」と冗談混じりで愚痴を溢した。
淡々と作業をこなしていた彼の口が、突然開かれる。
「……夢があるんだ」
「夢ですか」
その答えに、彼は「うん」と頷く。
ペンを机に置いて、彼女の方へ椅子を回転させる。
過去のデータから解析するけれど、彼の頭上には、“測定不能”と表示されていた。
「すべて、僕のエゴなんだけれどもね」
彼は、回転椅子に座りながら浅く笑う。
ずっと考えていたんだ、と口頭に。
「アンドロイドが人間と同じように暮らして、笑いながら手を取り合う」
「僕の頭の中ではずっと、そんな光景が流れているんだ」
“興奮”
視線の先にはそう示されていた。
エラーが発生する時は、感情が昂った際に引き起こされる。
「……一部では、アンドロイドへ恐怖の念を抱いていると聞きますが」
「相手のことを知らないから、そう思うんだ。そんなの、人間も同じことだろう?」
彼はジッと視線を送る。
「共存できる未来が訪れることを僕は信じているよ」
「君の、いいや───」
「君たちの存在価値を」
純粋無垢に夢を見る少年に戻ったように、目を輝かせた。
まるで、熱を帯びたように。
その目に宿った気高い目つきが、崇高な気持ちを物語らせる。
ささやかな違和感。故障はしていないはず。
「人類の手助けになれて光栄です」
何万通りの中の、プログラムされた回答だ。
そんなこと、すべて分かりきっている。
「聞こえていないのかな」なんて諦め気味に言う彼の返事を、まだ出せずにいた。
3/27/2024, 8:50:06 PM