この辺りには、「ひとりきり」という言葉がある。
濃厚で重たい霧が壁のように立ち込めて、船が一艘一艘孤立してしまい、最後には行方不明になってしまうことを言う。
この海には、ひとりきり_壁のような閉塞感のある、濃厚な霧_がよく出る。
それが祟りなのか、加護なのか、ただの自然現象なのかは定かでないけれども。
この辺りには、確かにひとりきりが出る。
風にすら揺らがないこの霧のために、この辺りの沈没船の数は、他の海と比べ物にならない。
ここは船の墓場で、この酷い霧は、沈んだ船たちを弔う線香だかなんだかの煙なのではないか。
それほどまでに濃い霧が出る。
ひとりきりは、船を連れ去っていく。
漁師を、船員を、整備士を、鼠取りの猫を、積荷を、マストを、全てを霧の中に引き摺り込んで、閉じ込める。
深い霧の中で、船の汽笛が聞こえたのに、船の姿が見当たらないなら、それはきっと、今、ひとりきりに紛れ込んでいる哀れな船の断末魔なのだ。そんな話がまことしやかに囁かれている。
不本意である。
確かに、ここは船の墓場だが、恐れるような場所では、ないからだ。
ひとりきりは、船の弔いと迎え火の煙だ。
寿命を迎えたり、もう死にたいと思ったりした船は、この霧に誘われ、集う。
そうして、船は最期のひとときを、人間や、動物や、荷物や、自分に近しい、自分を愛してくれたモノたちと、ゆっくりひとりきりで向き合い、過ごすのだ。
ここはそういうところだ。
決して、人間の言うような、魔境ではない。
私は今日も、迎え火を焚いて船を待つ。
ひとりきりを海面に漂わせる。
船の、悔いのない最期を、作るために。
9/11/2025, 2:59:20 PM