ももりん

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何もいらない


軽快な足音が、豪邸に響き渡る。
見張りはいない。全ては彼の計画通り。

そう、彼こそが世間を賑わす大怪盗。

少し癖のある黒髪が揺れ、青い瞳が月明かりに照らされた。黒いスーツに身を包み、堂々と胸を張って廊下を進んでいく。ランウェイを歩くかのように、ステップでも踏むかのように。
予定通りに、宝物庫の前へ。鍵も、彼の前では単なる装飾品。
重厚な扉が、彼を迎え入れるかのように、鈍い音とともに開いた。

ショウケースの中に、お行儀よく並べられた無数の宝石たち。壁にかけられた絵画の貴婦人が、彼を静かに見つめる。
彼の視線は、部屋の中央で止まった。

そこには、豪奢な椅子に腰掛けた少年が一人。
「ビスクドール?」
怪盗は、少年に吸い寄せられるように近づいていく。
腰に届くほどのたおやかな銀髪に、光の無い大きな琥珀色の瞳。白く、陶器のような肌。
「だれ?」
少年の口から、鈴のような声がこぼれた。
「俺は怪盗」
「かいとう?」
少年は、表情ひとつ動かさない。ただ、時折する瞬きだけが、彼が生きていることを示していた。怪盗は、少し考える素振りを見せた。
「なあ、俺を見逃す代わりに、何でも好きなものを盗ってきてやる。何が欲しい?」
「ほしい…?」
少年はつぶやいた。
「何もいらない」
怪盗の眉間にシワが寄る。
「本当に、何もいらないのか?」
少年は、不思議そうに首を傾げるだけだ。
「俺は何だって盗ってこられる。金銀財宝も、どんな機密情報だって…」

そこまで言って、怪盗は気がついた。この少年は"欲しい"という概念が欠落している。
あたかも人形のように飾られた少年。歳は十歳ほどに見えるが、その割に言葉がたどたどしすぎる。この部屋から出たことがないのではないか。

「なあ、俺は世界を飛び回って宝を盗んできた。外の世界の話、聞くか?」
少年の瞳に、初めて光が宿った。
怪盗は、顎に手を当てた。そして、手探りに語りだした。
「そうだな、昨日は警備が厳重な美術館から、不正に入手された絵画を盗み出した。その前は、貴族の屋敷から、黒い金を全部根こそぎ盗って。街でばら撒いたな」
琥珀色の瞳が、期待に揺れる。少年は、椅子から身を乗り出した。怪盗の青い瞳を、じっと見つめる。

怪盗は話を続けようと再び口を開いたが、どこからか人の足音が聞こえてきた。どうやら時間のようだ。
少し屈んで、少年に目線を合わせる。優しい声で語りかけた。
「外の世界には、お前の知らない宝が山ほどある」
少年は、ただ頷いた。
「今日は何も盗まないでおく。じゃあな」
怪盗は、月明かりの射す、窓の方に歩き出した。

少年が怪盗の袖を引っ張る。怪盗は、少し驚いた顔をした。そして足を止め、振り返った。
「また来るよ」
少年の頭に軽く手を乗せ、微笑んでみせた。
怪盗は、窓から夜の闇へと消えた。
残された少年を、窓から入る冷たい夜風が包んだ。

4/21/2026, 11:23:57 AM