溢れる気持ち
「わたくしはね、感謝しているんだ」
隣に座っていた中年くらいのおじさんが急にしゃべりだした。
遠出からの帰り道、俺はたまたま通りかかった公園のベンチで、近くの自販機で買った水を飲んでいるところだった。急になんだと思ったが、とりあえずこちらに話かけている様子ではないので、無言を決め込む。
「今日が、何事もなく、訪れることにさ」
(急に何を言い出すんだ…?)
「君も、そう思わないか?」
「え?は、は、はい…?」
おぉ…!?話しかけてきた…。
反射的に返事したものの…どうすれば。この人、初対面の俺にむかってなんの躊躇もなく話しかけてきたのだが…?無理!俺氏、コミュ症発動。
どうしよ、あぁ無理!無理無理無理無理!
帰る!話なんて出来ません!
俺はすぐさま立ち上がった。
「おぉっと。ちょっとお話ししましょうよ」
「…な、なんなんですか。あ、あぁ貴方は」
「いやなに、通りすがりの、ただのおじさんですよ。最近は君くらいの年代の人と話す機会がなくてね。だから、ちょっとだけでも…」
「いやぁ!俺、この後家で課題やらないといけないので!し、しし…失礼します!」
「え?いや、まって」
テクテクテクテク…
「…」
「…うん。まぁ、喋るの苦手そうだったし、仕方ないかな。よいしょっと」
…
足早に、家まで帰ってきた。早く歩いたことと、急に他人に話しかけられたことで、かなーーり疲弊した。
「ふぅ、全く…話なんて…こっちは何もないっつうの」
まぁ、無事に家には着けたので、安心。
俺は、玄関の扉を開けた…
…
次の日の夕方、公園に足を運ぼうと、歩いていた。俺は昨日、自分のとった行動に、少し反省をしていた。やっぱり、おじさんの話を聞けばよかったなと。何か、今後の人生についてアドバイスを貰えたり、面白い話を聞けたのではないかと思ったのだ。ああいう時に、テンパって頭真っ白になっちゃうのは、俺の悪いところだ。…やっぱり、心残りだ。
「今日、もしあのおじさんがベンチにいたら、勇気を出して話かけよう。そうしよう」
公園にきた。そして俺は。
絶句した。
「…え?」
一瞬。目を疑った。
目に写る今の惨状が、とても現実だとは思えなかったからだ。
パトカー、そして
「ベンチが、ベンチが…」
無かった。昨日まで、そこにあったはずの、木の葉で陰っていた、ベンチが、跡形もなくなくなっていたのだ。
野次馬の声が聞こえてくる。
「昨日、大変だったわね」
「そうそう、まさか人が、刺されたなんてねぇ」
刺さ、れた?人が刺されたと言ったか?
「ベンチで休憩中だった男性が、病院に搬送されて…」
「最近物騒な事件が多いわねぇ…気をつけないと」
「…」
俺は、何も言えずにいた。
嘘だ。そんなこと、ありえるのか。
こんな残酷なことがありえるのか。
おじさんの顔が脳裏に焼き付いて離れない。離れない…!
「わたくしはね、感謝しているんだ」
やめろ…やめてくれ
「今日が、何事もなく、訪れることにさ」
…俺は、走った。息を切らして走った。
…
ニュースになっていた、殺傷事件。男が、中年位の男性を鋭利物で刺して殺害した、と。亡くなった男性は…間違いなくあの人だった。動機は、会話の最中口論になり、むかむかして刺した。らしかった。あの時、俺が一緒に雑談できていれば…
…
俺は、この日を境に、人とキチンとコミュニケーションを取れるようになる為、色んな人に話しかけた。学校でも、家でも、とにかく会話をする様に心がけた。勿論、上手くいかない。けど、もう、嫌なんだ。やっておけばよかったと思うのは。嫌なんだ。だから、頑張るんだ。この溢れる、後悔の気持ちを、胸に。
2/5/2023, 3:24:40 PM