すゞめ

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 霞がかった視界にぼやけた光。
 遠慮がちに開かれたカーテンによって、まだ仄暗い朝の光が差し込まれた。

 ん、うぅ?

 その弱い光でさえ俺には刺激が強く、毛布を引っ張って顔を隠す。

「あ、ごめん。起こした?」

 身を捩った俺を見てか、彼女によってカーテンはすぐに閉められた。
 速やかに眩しさが閉ざされ、影を落とした室内に安堵して体の力を抜く。
 頭の上に小さな手の温もりが乗せられるという、朝から贅沢な微睡みを堪能した。
 しばらくすると、彼女はもそもそとベッドから離れようとする。

「……ねえ」

 彼女の腕を引っ張って、俺の上でぎゅうっと抱きしめた。

「ぅ、わっ!?」

 抱きしめる際に俺と彼女の間に毛布が挟まる。
 わずかな距離も惜しくて、その隔たりとなった毛布をぐいぐいと退けていった。

「どこ行くの?」
「どこって、別に。顔でも洗おうかと思って」
「ダメ」

 特別、差し迫った用事があるわけでもないのか、彼女は俺の上に乗っかったままおとなしくしている。

「毎日こうして俺の上にあなたが跨ってくれる最高に美麗なスチルが手に入るシチュエーションを奪うとかひどいことしないでください」
「スチル……?」

 体はまだ睡眠を欲しているが、頭の中は少しずつ冴えてきていた。
 そんな俺を察してか、彼女はわざとらしく大きなため息をつく。

「今すぐ奪いたくなってきたな?」
「俺の唇なら大歓迎です」
「……だったらその腕を緩めて」

 仕事が休みのせいか、今日はやけに素直である。
 俺の上で俺の抱き枕状態になっている彼女の頬に触れた。

「朝から熱烈ですね?」
「どっちが……」

 指通りのいい、細くてやわらかな髪の毛を梳く。
 すると、彼女はもそもそと俺と同じ目線の高さまで上ってきた。
 ベッドの中でだけ対等になる視線の高さ。
 くぐもった視界でも存在感を放っている彼女の瞳の光に吸い込まれたい一心で、さらに距離を縮めた。
 しかし、彼女の小さな両手は俺の両目を塞ぐ。

「ちょっと。自分から誘っておいてここで照れますか」
「違う」

 彼女の細い両手首を掴むが、引き剥がすことはまだしない。
 恥ずかしがって力加減を置き去りにした彼女が、俺の目を潰してしまっては大変だ。
 彼女のペースに合わせて、その羞恥心をほぐしていく。

「じゃあなんですか、この手は。さっきと言ってること違くないですか?」
「奪うのは、私なんでしょ?」
「おや。奪ってくれるんです?」

 彼女の言葉に口元が緩む。
 俺の両目を押さえている手を絡めてゆっくりと下ろした。

「おはよう。れーじくん」

 目が慣れたせいか幾分はっきりとした視界。
 天使よりも清純で無垢な光が飛び込んできた。
 朝日なんかよりも何倍も眩くて玲瓏たる彼女に、かける言葉を失った。
 惚けている俺に、楽しそうな息の溢れた気配がする。
 ハラリと、彼女の細い毛先が落ちてきて俺の頬を撫でた。
 心地のいいくすぐったさに気を取られていると、寝起きでカサついているであろう俺の唇に彼女のふっくらと瑞々しい唇が優しく触れる。

「……キスをするならせめて準備をさせてください」
「奪っていいって言ったくせに。乙女かよ」
「それはそうですけど、ずるいです」

 ふに、と親指で柔らかな唇に触れる。
 キスをしたあとだというのに彼女の唇は十分に油分を含んでいて、しっとりとしていた。

「そっちはしっかりリップつけてるじゃないですか」
「乾燥が気になる季節になったからね」

 得意気に声を弾ませる彼女は楽しそうだ。
 キスをくれたお礼に、俺もとびっきりのキスでお返しをしようと細い頸を引き寄せる。
 朝から艶を帯びた優美な唇にかぶりつこうとしたとき、今度は両手で俺の口元を押さえつけた。

「ちょっ、準備はどうしたんだよ?」
「今さっきあなたからもらったので問題ありません」
「……ホント、そういうとこ……っ!」

 先ほどとは打って変わり、動揺して上擦った声音。
 不意打ちに弱い彼女は、今度はちゃんと照れていた。

 かわいい。

 口元は潰される心配がないため、彼女の羞恥にはかまわず舌先で手のひらをペロリと舐めた。

「ちょっ、やめて……っ」
「どうして」
「どうしてって、だって……朝からこんな……」
「朝……?」

 そういえば、彼女の挨拶に答えてなかったな?

 口ごもる彼女をよそに、散り切れで支離滅裂な思考がマイペースに回り出す。

「……おはようございます」

 唇を離して伝えると、彼女はわなわなと憎らしげに吐き捨てた。

「ほんっと、そういうところ! 腹立つっ!」

 羞恥で震えた声ではいつもの治安の悪さも、ただの嗜虐心を煽る材料にしかならない。

「ね。もっと顔、見せてください……」
「ゃっ……。もうっ、朝から爛れないでっ」

 キャパオーバーでも迎えたのか、八つ当たり気味に勢いよく彼女は俺の肩口に額をぶつけてきた。

「さっさと眼鏡かけて目を覚ませ」
「眼鏡……?」

 あぁ。

 だから、さっきから彼女の表情がぼんやりとしていたのか。

 存在感だけでこれだけきらめいていられる彼女はどこまでも尊くて神々しい。

「今度は、ちゃんと起きた?」

 ベッドボードに置き去りにしていた眼鏡をかければ、しっかりと彼女の輪郭を捉えた。
 晴れやかな視界に広がる彼女の姿は、摩擦で少し赤くなった額ですら愛らしい。


『光と霧の狭間で』

10/19/2025, 4:05:39 AM