恋物語
むかしむかしのお話です。
隣り合う二軒の家に、それぞれ娘さんと息子さんがおりました。
当時の世の中でいう「いい年頃」でしたので、親たちはお見合いをさせてみました。
息子さんは静かで、とても穏やかな人でした。
娘さんは、「嫌じゃないな」と思いました。
初めて一緒に観た映画は、息子さんのチョイスで『タクシードライバー』でした。
およそデート向きの作品ではありませんでしたが、娘さんは「嫌じゃないな」と思いました。
主に娘さんの母親に急かされ、二人は五回も会わずに結婚しました。
ある日、彼の勤務先の社内報が見えるところに置いてありました。
そこには結婚した社員の紹介コーナーがあり、「結婚して良かったこと」「ちょっと残念なこと」という質問がありました。
彼の回答は「二人でいられること」「一人でいられないこと」というものでした。
彼女はそれを見て、「この人は一人でいたい時があるんだ」「ということは、私も時には一人でいていいんだ」と感じました。
何だかとても自由になった気がしました。
子どもが二人生まれ、お互いに「一人でいられない」ことばかりでしたが、彼は彼女が困っている時には必ず助けようとする人でした。
強いて欠点を挙げるなら、料理に一切ケチをつけない代わりに「美味しい!」とも言ってくれないことでしょうか。
ただ、彼女の作る餃子と春巻はとても気に入っているようでした。
月日が流れて子どもたちに手が掛からなくなった頃、彼は病気になりました。
よくある、本当にありふれた病気でした。
入退院を繰り返すようになった時、彼が望んだのは「子どもたちは見舞いに来なくていい、いつもどおりの生活をさせてほしい」、それだけでした。
彼女は毎日病院に少しだけ顔を出し、帰ってきっちり夕飯を作り、日々を送りました。
ある日看護師さんが彼女に「◯◯さんは奥さんが来ると表情が全然違いますね」と言いました。
彼は静かで、いつも静かで、本当に穏やかな人だったので、一人の時に病人としての彼がどんな表情をしているのか、家族は想像もできませんでした。
大きな治療を終えて久しぶりに帰宅した時、夕食の席で彼はぽつりと言いました。
「餃子食べると、家に帰って来た気がするなぁ」
ある朝、自宅から病院に向かう筈の日に、彼は呆気なく亡くなりました。
苦しみがない代わりに、何かを言い残す時間もありませんでした。
姑にあたる彼の母を、彼女は「おかあさん」と呼んでいました。
「おかあさん」は季節ごとに果物や孫たちが好きだった菓子を送ってきて、彼女と話すたびに同じことを言いました。
あの子はあなたと結婚できて本当に幸せだった、あなたがいてくれて良かった。
「あなたがいてくれて良かった」、それは彼女の母親が一度も言ったことのない言葉でした。
「おかあさん」はそれを言い続け、13年後に息子の居る、どこか美しいところへ行きました。
とうに成人した子どもたちも、今や中年になりました。
彼女はまだ一人で何でもできます。
彼にまた会う日まで、彼女が幸せでありますように。
彼女の子どもである私が唯一語れる、ありふれた恋物語です。
この物語はすべて実話です。
登場する人物とその発言はすべて筆者の経験と伝聞に基づきます。
5/19/2024, 8:32:50 AM