炸汰

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 目の前の彼女が柔らかく微笑む。なんてことはない普通の会話……「今日も暑いね」「明日は天気が崩れるらしいよ」程度の日常会話すら、きらきらと輝いているように感じる。ドキドキ高鳴る胸を押さえながら「最高気温は25度だって」「気圧が下がると頭痛がするから嫌だな」と、自分の持っている会話のパターンから、どうかキャッチボールが終わらないでほしいと願いながら選んだ言葉。彼女はまたふんわりと口角を上げた。
「じゃあ、これはお守りね」
 彼女はカバンから可愛らしいポーチを取り出して、その中身をそっと差し出した。僕が手を出すと、ころりと手のひらには錠剤が入った1回分のシート。僕の家にもある、なんでもないただの鎮痛剤。
「いつも持ってるの。よかったら使ってね」
 目を細めて彼女は今日一番の笑顔を浮かべて手を振る。「次の講義、あっちだから」と教室を後にした彼女に、僕はちゃんとお礼を言えただろうか。手の中のシートを、浮き立つ気持ちと一緒にぎゅっと握りしめる。好きだなあと思ったその瞬間、今までの僕ががらりと崩れる心地がした。

5/8/2023, 2:42:50 AM