"刹那"
十数メートル先に見覚えのある──いや、幾度も見ている、糊のきいたスーツをかっちりと着こなす青年が正面からこちらに向かって歩いてくる。
こちらに気付き、片手を上げた。
それに倣って片手を上げ、声をかける。
「おう」
近付いて立ち止まると、俺が背負っている物を見て「あぁ」と声を漏らした。
「そういえば、今日取りに来ると言っていたな」
「これから行くとこ。お前は?」
「近くの図書館に、借りていた本を返しに」
へぇー、と相槌を打つと、不思議そうな顔をして「ところで」と聞いてきた。
「『これから行く』と言っていたな」
「あ?あぁ」
何故そんな事を聞くのか。不思議に思いながら頷く。
「リュックが少々膨らんでいるから、これから帰るところなのかと思ったんだが……」
「は?」
驚いて、間抜けな掠れ声が出る。
──何か入れてたっけ?
不思議に思って背のリュックの底に触れてみる。
少し重みを感じた。感触も柔らかいような固いような、不思議な感触だった。
また驚いて、今度は肩が跳ねる。
リュックを地面に下ろし、恐る恐るファスナーを開けてリュックの口を広げる。
すると、尖った耳がピョコンと動いて、のそり、と身体を動かし、リュックの中にいたものがこちらを向いて声を上げた。
「みゃあん」
身体を伸ばしてこちらを見上げる。「はぁ……?」と先程よりも間抜けで掠れた声を漏らした。
俺の声を聞き「大丈夫か?」と声をかけながら、俺の肩越しに中を覗き込むと、俺の心の中を代弁するような言葉を発した。
「何故ハナがリュックの中に……?」
その疑問に、答えにならない答えを返す。
「俺だって知らねぇよ……」
「なら、目を離した隙に入り込んだのか?」
「はぁ?いや、目ぇ離してた時ちゃんと閉め──」
不自然に言葉を切る。
そういえば一回だけ。今回受け取る物資の確認でチャットを見る為に目を離してた。確か開きっぱなしだったはず。
だがその時間はほぼ一瞬だったはずだ。
けれど猫は俊敏だから、どんなに一瞬でも全く別の場所にいたりする。
不自然に言葉を切って考え込み始めたので、心配そうに「開業医?」と外での呼び名で呼ばれた。我に返って「んっ……あぁ、悪い」と答え、続けて推測を文章にして述べる。
俺の推測に頷いて「なるほど」と漏らした。
「それで、どうする?このまま連れて行く訳にもいかないだろ」
「あぁ……」
情けない大きなため息を吐く。ハナを連れて病院に入るなど無理。かと言って、またリュックの中に入れて行くなど罪悪感が勝って出来ない。
「悪いけど……代わりに、持ってきてくれねぇか……?」
おずおずと口を開き、バツが悪そうに言葉を紡ぎながらリュックを差し出す。
「本当は、ハーネスで病院の傍に繋いで行くのがいいんだろうけど、ハーネスねぇし……。かと言って、ハナは好奇心旺盛で人懐っこいし、一人にして行く訳にもいかねぇし……だから……」
「なら俺が面倒を見ながら外で待って」
「駄目だ。緊急で呼び出しくらったら大変だし。そもそもお前スーツだし、毛が付いたら目立つ」
そう言うと納得したのか頷いて、差し出したリュックに手を伸ばした。掴んだのを見て手を離す。
「じゃあ、悪ぃけど頼む。近くの公園で待ってっから。呼び出されたら他の奴に頼んでもいい」
「分かった」
そう答えると俺のリュックを背負い、身を翻して病院へと向かった。
その背中を見送り、病院近くの公園へと向かい、公園内のベンチに座るとハナを顔の前に持ち上げる。
キョトンとした顔で俺の顔を見るハナの目に、不機嫌な顔をした俺が映る。
「本当困った奴だな、お前」
不機嫌な声色でそう言うと、いつもと変わらぬ声で「みゃあん」と鳴いた。がくり、と肩を落として「このヤロー……」と呟く。
──今度からはこいつをストールでくるんでからリュック出そう……。
4/28/2024, 2:16:59 PM