へるめす

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朝の通学路、三階建ての退屈へと向かって、緩慢とした歩みを歩いていると、ひらひらと飛ぶ白い姿が見えた。
――蝶だ!
蝶はわたしの視線に気付くと、ゆっくりとこちらへ向かってくる。そして、驚くべきことに、わたしに声を掛けてきた。
「なっちゃった、蝶に」聞き馴染みのある声だった。「目が覚めたら、蝶」
モンシロチョウと思しき蝶から発せられたのは確かに長年の幼馴染であり、今も同級生である彼女の声だった。
「むっ、胡蝶の夢というわけか」わたしはほとんど独り言に近い言葉を口に出した。「洋の東西を問わず、人類は蝶を魂と見なしてきたからな。古代ギリシャで魂を意味するプシュケーはそのまま蝶を意味するそうだ」
「へぇ~、為になるなぁ」わたしの周囲を飛びながら、彼女は言った。「いやいや、そんなことより、これどうしたらいいんだよ。助けてよ~」
「まぁまぁ落ち着きたまえ。今言ったように、蝶になったということは、魂が抜け出した状態と考えられるわけだ」
「早く元の身体の帰りたいよぉ」
「悪いが、あまり顔の近くを飛ばないでくれ。くしゃみが……」中断を挟みつつ、わたしは話を続ける。「一説では、シロチョウは似通ったもの同士で変装し合うことで、個性を無くし、個体が襲われる確率を減らすという」
「それが何か関係あるの」
「それから、魂のタマというのは、死者が個性を、つまり名前を失って一つの水溜まりみたいなところへ還った状態を指すらしい」
「つまり、どういうこと」
「このままだとお前は死んでしまうというわけだ」
「そんな~……」うわっ、顔に纏わりつくな。「助けてよ~……」
ここで、わたしは飛び起きた。たぶん顔に頭を撫で付けていたであろう飼い猫が、不思議そうにこちらを見ている。
胡蝶の夢か――わたしはベッドを抜けるとカーテンを開け、窓の外を眺めた。まだ青黒い空にはコウモリが一匹、翩々と飛んでいる。


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モンシロチョウ

5/10/2023, 5:26:59 PM