【たそがれ】
夕焼け空よりも日没直後の薄暗さが好き、と以前彼女は言っていた。何故と問い掛けても彼女は「秘密」と寂し気に微笑むだけで、俺に教えてはくれなかった。
今も丁度いつかの様に日が沈んで、水平線に微かに残るオレンジ色の空が徐々に濃紺の夜で覆われていく。
そんな西の空を彼女は黙って俺の隣で眺めているが、ふとその横顔に浮かぶ翳りが気になった。
彼女は時々そんな表情をする事があるのだ。
「寒くないか?」
そんな時でもこうして、物判りの良い上司の顔で彼女の側に居ながら、結局俺はいつも自分の気持ちを持て余している。
「……はい。大丈夫です」
他に何と声を掛けて良いのか判らず、俺はもう一度、日没後の空が好きな理由を尋ねてみる事にした。また秘密だとはぐらかされるだろうかと思ったが、彼女は少し逡巡した後、独り言の様な小さな声で呟いた。
「理由は3つあります。だけど、1つだけなら良いですよ」
「1つだけか。なら一番の理由が聞きたい」
彼女は俯きながら、涙を隠してくれるからですと答えた。
「なるほどな。でも、それなら夜の闇の方が都合良い気がするんだが」
「涙って、街灯や車のライトで結構光るんですよ。だから、灯りが点く前の暗さが良いんです」
俯いたまま、彼女はこちらを見ようとしない。
今まさに彼女が泣いているのではないか? そんな気がして俺が恐る恐る声を掛けようとした時―――
「済みません、変な事言って」
努めて明るい声で言うと、彼女は顔を上げた。
俺の心配は幸い杞憂だったが、薄闇のせいか彼女の表情が無理した泣き笑いの様で、痛々しく見えてしまう。
「別にいい、気にするな。そろそろデスクに戻ろう、霧が出てきた」
「霧……」
何かに気付いたように、彼女が瞠目する。
「ん? 俺何か変な事言ったか?」
「あ、いえ! ただ―――」
霧なら涙だけじゃなくて色々なものが隠れますよね。
消え入る様な声で、だが確かに彼女はそう呟いたのだ。
「そうだなあ……確かに」
同意はしたものの、普段朗らかで基本的にはポジティブ思考の彼女らしくない発言に、俺は驚いていた。
「けどそれじゃ、見たいものも隠れちゃうから駄目ですね」
彼女に何があったのか、俺には判らない。
力なく、でも懸命に堪えて強がる彼女を見ると、俺は何とも言えない切ない気持ちに苛まれた。
泣いてどうなるものではなくとも、気持ちを切り替える意味で泣く事が有効な場合もあるだろうに。
こんな時、わっと泣いて誰かに甘える事の出来ない彼女が焦れったい。
側に居るのに甘え先になれない自分も。
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※俺=2023/7/9 お題【街の明かり】の『課長』
10/1/2023, 12:45:03 PM