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平凡な一生(テーマ 夢が醒める前に)



 これは、ある、どこにでもいる男の話だ。

 日本の片田舎に生まれて、まずは幼稚園から学校へ進む。

 泣き虫で、幼稚園ではよくいじめられた。

 『うまくやらないとずっと泣くことになる』と彼が思った原点がここにあるかもしれない。

 小学校に上がり、今度はなんとか友達を作りつつ、勉学に励む。

 『要領よくいかなくては』

 物事はほどほどに。バランスが大事だ。

 孤立しないように振る舞い、勉強も落ちこぼれないようにやる。



 大学に行く前くらいには、一度は男女交際をしておかなくては。

 特に男の場合、高齢になれば女性から相手にされなくなる。

 高嶺の花に手は出ない。自分と付き合ってくれる相手を探す。

 大学も、そこそこ以上で、できれば国公立。

 うちは金持ちではないし、あまりにもレベルが低ければ両親に迷惑がかかる。

 無事に大学へ進んだ。合格したときは両親も祝ってくれた。




 大学卒業後は、就職だ。

 親の代と異なり、非正規雇用が増え、ただ働いていれば給料が増えるわけではない。

 『どこでもいい』『何でもいい』とは言えない。

 企業選びは大事だ。

 なんとか、給料ほどほどの企業から正社員の内定をもらう。

 名刺を実家の両親に見せたら、壁に貼っていた。


 仕事に追われながら、しばらくして結婚した。

 結婚式。

 仕事の話しかしていない上司は、挨拶で『彼はやり手で』と持ち上げてくれ、仕事場の同僚はお酒で赤らんだ顔で祝ってくれた。

 妻の仕事場の上司も、やはり同じようなことを言っていた。

 似たもの同士の結婚かもしれない、と内心で思った。

 両親は泣いて喜んでいた。



 家族を養いながら、仕事に打ち込む。

 結婚2年目で子どもが生まれた。

 よく泣く子だ。夜中も泣き続けで、とても寝ていられない。

 妻は育児休業をとって、子育てに専念した。

 その間も会社の仕事は増え続けた。

 一時は、その分残業代も出たので、物入りな子育ての際には助かった部分もある。

 しかし、妻はその間、子どもと一対一で向き合っている。

 目も手も体も離せない。油断できない時期だ。


 妻の育児休業期間が終わる。

 子どもを保育所に預けて夫婦ともに仕事場へ。

 子育ては夫婦で協力して臨む。

 保育所への送りは自分、迎えは妻。送りに行く自分も、迎えにいく妻も、勤務を調整している。

 自分の場合はフレックスで勤務時間を後ろにずらした。

 つまり、その分遅くまで働くのが通常になった。

 そして、増えた仕事が終わらないので、さらに遅くまで残業をする。


 互いの親に孫の顔も見せるために月に1回は、週末、互いの実家へ行った。


 最初はうまくいっていた生活も、次第に疲弊していく。

 仕事は、歯を食いしばって残業を続けていたが、いくら頑張っても増える一方だ。

 働き方改革で休みは取りやすくなったが、仕事が減ったわけではない。

 会社を潰さないためには誰かがその分働かないいけない。


 子育ても忙しい。

 仕事仕事で、妻にも子どもにも、時間をとれないことが増えてきた。

 その代わり、休みの日は子どもの面倒を見たり、月一の自分の実家への顔見せの際には、自分と子どもだけで行き、妻には休みをあげたりした。


 その間も仕事は増え続ける。

 部下が休んだり、辞める。

 さらに仕事が増える。

 終わらない。ずっと終わらない。

 給料が増えたと思ったが、税金も増えた。

 思ったほど貯蓄もできていなかった。




 ある日、体が起こせなくなった。

 病院を回ると、体ではなく心の病であった。

 メンタル不調。うつ病。


 仕事を休むことになった。


 妻が仕事をメインでやるようになり、自分が子どもの面倒を見ながらうつ病治療。


 症状はよくなったり悪くなったり。

 一時は字が読めなくなった。

 薬を飲みながら治療をする。


 妻は仕事で家にいない時間が増えた。


 薬を飲みながら仕事に復帰した。

 少しずつ仕事を増やす。

 しかし、復帰後の職場はさらに増えた仕事と、少なくなった人員で回す地獄の環境となっていた。

 薬でごまかしながら、仕事漬けに戻った。

 子どもは小学校中学年になり、いわゆる鍵っ子になっていた。



 ある日、家に帰ると誰もおらず、妻は子どもを連れて実家に帰り、離婚届が送られてきた。


 平凡な人生は躓き、幸せは消えた。

 何が悪かったのか。

 仕事をもっと減らすための努力が足りなかった。

 家族にもっとかまうべきだった。

 妻に愛想を尽かされないための努力が足りなかった。


 考え続けても答えは出ない。


 ただ、朝、起きても妻も子どももいない。



 親は肩を落としていた。


 それでも人生は続く。

 うつ病の薬を飲みながら仕事にどっぷりと浸かり、時間を作っては再婚をするために結婚相談所に登録して、仕事の合間に人に会う。


 ちょっとまて。

 本当にそれでいいのが?

 その繰り返しでいいのか?

 それが『どうしても欲しかったもの』か?


 そもそも、なぜ、『それ』がほしかったのが。

 分からない。

 周囲も当然そうしていて、両親も『それ』を望んでいて、なんとなく幸せそうで。

 子どもの高い体温をだきあげていると、生きている、という実感はあった。

 だが、妻の考えることは次第に分からなくなり、空回りが多くなっていた。

 仕事は終わらなくなり、残業や休日出勤は当たり前。

 体も心も持たなくなった。


 もう一度、自分が必要な幸せを考え直すべきではないか。

 それどころか、幸せという麻薬をほしがることを、考え直すべきではないか。

 自分は今まで、『そういうものだ』という理由から、橋から落ちないようにうまく立ち回ってきた。

 しかし、それは『酩酊状態から醒めないように酒を飲み続ける行為』ではないのか。

 今、『夢から醒める前』に『別の夢』を必死に積み上げようとしているが、それが本当に正しいことなのか。

 結婚して、子どもができて、ささやかな夢、平凡な幸せをつかんだと思った。

 思ったが、崩れるのもあっという間だった。

 そして、崩れた夢をまた積み上げようとしていることを今、自覚した。


 夢とは一体何なのか。

 必死になって追っていた『夢』、あるいは追われていた『夢』。

 夢は『平凡な幸せ』と言い換えてもいい。


 一体それは何だったのか。

 ただ、壊れた心と老いが見えてきた体と、山のような仕事があるだけの私。


 そんなものが、本当に欲しかったものなのか。

 わからないことだらけ。

 しかし、一つだけ思ったことがある。

 今、『夢から醒めた』のだ。

3/21/2024, 9:52:44 AM