平凡な一生(テーマ 夢が醒める前に)
1
 これは、ある、どこにでもいる男の話だ。
 日本の片田舎に生まれて、まずは幼稚園から学校へ進む。
 泣き虫で、幼稚園ではよくいじめられた。
 『うまくやらないとずっと泣くことになる』と彼が思った原点がここにあるかもしれない。
 小学校に上がり、今度はなんとか友達を作りつつ、勉学に励む。
 『要領よくいかなくては』
 物事はほどほどに。バランスが大事だ。
 孤立しないように振る舞い、勉強も落ちこぼれないようにやる。
2
 大学に行く前くらいには、一度は男女交際をしておかなくては。
 特に男の場合、高齢になれば女性から相手にされなくなる。
 高嶺の花に手は出ない。自分と付き合ってくれる相手を探す。
 大学も、そこそこ以上で、できれば国公立。
 うちは金持ちではないし、あまりにもレベルが低ければ両親に迷惑がかかる。
 無事に大学へ進んだ。合格したときは両親も祝ってくれた。
3
 大学卒業後は、就職だ。
 親の代と異なり、非正規雇用が増え、ただ働いていれば給料が増えるわけではない。
 『どこでもいい』『何でもいい』とは言えない。
 企業選びは大事だ。
 なんとか、給料ほどほどの企業から正社員の内定をもらう。
 名刺を実家の両親に見せたら、壁に貼っていた。
 仕事に追われながら、しばらくして結婚した。
 結婚式。
 仕事の話しかしていない上司は、挨拶で『彼はやり手で』と持ち上げてくれ、仕事場の同僚はお酒で赤らんだ顔で祝ってくれた。
 妻の仕事場の上司も、やはり同じようなことを言っていた。
 似たもの同士の結婚かもしれない、と内心で思った。
 両親は泣いて喜んでいた。
4
 家族を養いながら、仕事に打ち込む。
 結婚2年目で子どもが生まれた。
 よく泣く子だ。夜中も泣き続けで、とても寝ていられない。
 妻は育児休業をとって、子育てに専念した。
 その間も会社の仕事は増え続けた。
 一時は、その分残業代も出たので、物入りな子育ての際には助かった部分もある。
 しかし、妻はその間、子どもと一対一で向き合っている。
 目も手も体も離せない。油断できない時期だ。
 妻の育児休業期間が終わる。
 子どもを保育所に預けて夫婦ともに仕事場へ。
 子育ては夫婦で協力して臨む。
 保育所への送りは自分、迎えは妻。送りに行く自分も、迎えにいく妻も、勤務を調整している。
 自分の場合はフレックスで勤務時間を後ろにずらした。
 つまり、その分遅くまで働くのが通常になった。
 そして、増えた仕事が終わらないので、さらに遅くまで残業をする。
 互いの親に孫の顔も見せるために月に1回は、週末、互いの実家へ行った。
 最初はうまくいっていた生活も、次第に疲弊していく。
 仕事は、歯を食いしばって残業を続けていたが、いくら頑張っても増える一方だ。
 働き方改革で休みは取りやすくなったが、仕事が減ったわけではない。
 会社を潰さないためには誰かがその分働かないいけない。
 子育ても忙しい。
 仕事仕事で、妻にも子どもにも、時間をとれないことが増えてきた。
 その代わり、休みの日は子どもの面倒を見たり、月一の自分の実家への顔見せの際には、自分と子どもだけで行き、妻には休みをあげたりした。
 その間も仕事は増え続ける。
 部下が休んだり、辞める。
 さらに仕事が増える。
 終わらない。ずっと終わらない。
 給料が増えたと思ったが、税金も増えた。
 思ったほど貯蓄もできていなかった。
5
 ある日、体が起こせなくなった。
 病院を回ると、体ではなく心の病であった。
 メンタル不調。うつ病。
 仕事を休むことになった。
 妻が仕事をメインでやるようになり、自分が子どもの面倒を見ながらうつ病治療。
 症状はよくなったり悪くなったり。
 一時は字が読めなくなった。
 薬を飲みながら治療をする。
 妻は仕事で家にいない時間が増えた。
 薬を飲みながら仕事に復帰した。
 少しずつ仕事を増やす。
 しかし、復帰後の職場はさらに増えた仕事と、少なくなった人員で回す地獄の環境となっていた。
 薬でごまかしながら、仕事漬けに戻った。
 子どもは小学校中学年になり、いわゆる鍵っ子になっていた。
6
 ある日、家に帰ると誰もおらず、妻は子どもを連れて実家に帰り、離婚届が送られてきた。
 平凡な人生は躓き、幸せは消えた。
 何が悪かったのか。
 仕事をもっと減らすための努力が足りなかった。
 家族にもっとかまうべきだった。
 妻に愛想を尽かされないための努力が足りなかった。
 考え続けても答えは出ない。
 ただ、朝、起きても妻も子どももいない。
7
 親は肩を落としていた。
 それでも人生は続く。
 うつ病の薬を飲みながら仕事にどっぷりと浸かり、時間を作っては再婚をするために結婚相談所に登録して、仕事の合間に人に会う。
 ちょっとまて。
 本当にそれでいいのが?
 その繰り返しでいいのか?
 それが『どうしても欲しかったもの』か?
 そもそも、なぜ、『それ』がほしかったのが。
 分からない。
 周囲も当然そうしていて、両親も『それ』を望んでいて、なんとなく幸せそうで。
 子どもの高い体温をだきあげていると、生きている、という実感はあった。
 だが、妻の考えることは次第に分からなくなり、空回りが多くなっていた。
 仕事は終わらなくなり、残業や休日出勤は当たり前。
 体も心も持たなくなった。
 もう一度、自分が必要な幸せを考え直すべきではないか。
 それどころか、幸せという麻薬をほしがることを、考え直すべきではないか。
 自分は今まで、『そういうものだ』という理由から、橋から落ちないようにうまく立ち回ってきた。
 しかし、それは『酩酊状態から醒めないように酒を飲み続ける行為』ではないのか。
 今、『夢から醒める前』に『別の夢』を必死に積み上げようとしているが、それが本当に正しいことなのか。
 結婚して、子どもができて、ささやかな夢、平凡な幸せをつかんだと思った。
 思ったが、崩れるのもあっという間だった。
 そして、崩れた夢をまた積み上げようとしていることを今、自覚した。
 夢とは一体何なのか。
 必死になって追っていた『夢』、あるいは追われていた『夢』。
 夢は『平凡な幸せ』と言い換えてもいい。
 一体それは何だったのか。
 ただ、壊れた心と老いが見えてきた体と、山のような仕事があるだけの私。
 そんなものが、本当に欲しかったものなのか。
 わからないことだらけ。
 しかし、一つだけ思ったことがある。
 今、『夢から醒めた』のだ。
3/21/2024, 9:52:44 AM