【125,お題:泣かないで】
地に足が着かない妙な感覚にも慣れてきた
いつもより数m高い視線に、ぐるりと首を回らせ、重心を器用に移動させて、イルカのように一回転
ふわふわと頼りなく宙に浮かぶ自分の身体、なんでこうなっちゃったんだろうと、後悔ともつかない曖昧な感情を飲み込む
「死んだら、楽になれる」そう思ってた過去の自分を呪ってやりたい
この世界が嫌で、拒絶して、馴染めなくて、みんなの言う”普通”が僕には合わなかったみたいだ
『なにやってんだろ』
口にした言葉も音にはならず、薄暗い無音の部屋の静寂に吸い込まれるように消えていく
...ガラガラッ
『!...』
静寂を壊す音に、ビクリと肩を揺らした
灰色い部屋に入って来たのは、真っ黒い服を着た青年だった
仏壇の前に静かにしゃがみこむと、一礼してからマッチで蝋燭に火をつけ
線香に火を移すと、残り火を軽くあおいで消してから、ゆっくりとした動作で香炉に立てた
ぼんやりと焦点が定まらない瞳でその煙を眺めた後、おもむろに両手を合わせて目を閉じる
『―――』
全く重力のかからなくなった身体、それでも行きたい方向には自由に動ける違和感を感じながら
ふわふわと宙を漂って、青年の後ろに浮かんでその姿を見ていた
「――なぁ、俺はさ」
『!?』
急に響いたその声に驚き固まる、しかしすぐにその声が自分へ向けられたものだと気付いた
ここに浮いている幽霊と化した自分ではなく、仏壇の中の――写真の自分へと
「俺は...ッ何をすれば良かった...?なんて、言ってやれば良かった?...俺はッ」
ふるえた声で、神に祈りを乞うような弱々しい口調
その言葉、声からは、後悔とも悲しみとも怒りともつかない、どろどろに溶け合った複雑な感情が見て取れた
写真の自分は、死んでいる自分よりも死んだような瞳でその青年を見ていた
もっといいは写真なかったのか、いや、あの頃の自分は写真なんて嫌ったか
「ごめんなぁ...ごめん、無力でごめん、なんにも出来なかったな俺」
青年は自虐的に嗤うと、その目からポロポロと雫が溢れた
声にならない嗚咽を上げ、ごめんと何度も謝る後ろ姿を、ただなにも出来ず眺める
「はは...なんで泣いてんだ俺...なにも出来なかったくせに、泣く資格なんてねぇよなぁ...ッ」
流れた涙を拭うこともせずに、頬を伝った雫がポタポタと落ちる
なにも言えない、いや言ったところで届かないだろうが、なにも言葉が出てこなかった
自分が死んで、こんなふうに泣き、悲しんでくれる人がいることも知らなかった
こんなに自分は愛されていたのか、漠然と感じた感情に名前を付けるとしたら、これは後悔だろうか?
何を今さら、そもそも自分で選んだ道だろう
...だが、目の前で泣き崩れる青年の姿に、どうしても今は無い心臓がざわめく
何か言ってやりたくて、君が苦しむことないと、気にしなくていいと
しかしなにも浮かばず、下書きを何度も書いては消すように、言いかけてやめるのを繰り返す
ようやく紡ぎ出された一言は
『「泣かないで」』
僕のために悲しまないで、僕の事なんて気にしないで、君は幸せになって
勝手に強がって勝手に死んだ僕なんかに、君の優しさを使わないで
人のために泣ける君の涙は、もっと...別の誰かに使ってあげて
11/30/2023, 10:08:37 AM