ココロ。
まず、仰向けになって、体を一番リラックスできる姿勢に整える。手のひらは上向きでもいいし、下向きでも横向きでもいい。とにかく途中で気になって動かさずに済む程度、無意識へ肉体を持っていく。つま先、膝、太もも、手、腹、胸、肩、頭の順で無意識へ持っていく。
これはボディスキャン瞑想といって、つま先からCTスキャンされているようにありのままの肉体を感じ、ありのままで意識を眠りに手放すという入眠法だ。米軍式入眠法ともいわれている。そっちは、逆に頭からつま先へと力を抜いていく。軍で実際に使われているのだ。
通常なら、つま先から頭へ、と意識を移動していくうちに寝落ちするという人がほとんどらしい。わたしは今夜で七回繰り返している。
やり方が悪いのだろうか? ほかにもアリス式入眠法や、478呼吸法、ネットで調べられるかぎりはすべてやり尽くしている。一時間前に入浴するだとか、カフェイン量だとか、アロマ、ヨガ、ホットミルク、ツボ押し、さまざまに気をつけて過ごしている。
薬に頼るのが、もっとも賢いのだろうか?
わたしはまた一、二……と数えはじめる。深呼吸をしながら、つま先、膝……と力を抜いていく。
カラスが鳴きはじめたから、もう朝の四時になるんじゃないだろうか。
肩まで、すっかり力を抜く。もう首から下はわたしのものじゃなくって横たわるまだ腐っていないだけの死体になる。顎からじわじわと蝕んでくる死のスピードはここで一度ゆるやかになる。頬を包まれ、死を耳の表面を混ぜられる。耳が聞こえなくなる。目隠しをされて、目が見えなくなる。このときには、鼻もきかなくなっている。死には匂いがない。だからゆっくりに感じるのだ。気がついたときには窒息している。
そうして呼吸すら不明になった肉体から切り離され、わたしは生きている。つま先から頭のてっぺんまでの意識を吸い取り、魂の一歩手前の存在になってわたしはいる。後頭部あたりから抜け出るイメージだ。わたしは枕元でうずくまっている。
わたしはまだ起きている。わたしはまだ眠れていない。ふしぎに思考は冴え渡っていて、明瞭とした意識を持っている。肉体はわたしのものではなく、もはやだれでもない生きている物そのものになった気がする。
やがて朝がくる。わたしは機械的に起床する。三つかけたアラームの二つ目に起き、不要になった三つ目のアラームを解除する。寒い廊下から洗面所へ行き、歯磨きをする。磨いている間にキッチンへ行き、ポットで湯を沸かす。暖房をつける。カーテンを開ける。湯が湧くのを待っているうちに、手早く洗顔する。コーヒーを淹れ、スキンケアをしながら、ニュースとメールをチェックをする。シリアルを胃に流し込む。服を着替える。メイクをする。ヘアセットをする。トイレに行く。いつもと同じ流れ。鞄の中身と、今日一日のタスクを確認。気温からアウターを選び、全身鏡でチェックしてから、靴を選ぶ。わたしは出勤する。おどろくほどいつも通りに、靴を履き、鍵を開ける。出勤してしまう。ドアノブを握り、そのとき、わたしの後ろ向きな意識は、後頭部から抜け出そうに怖気付いていた。玄関の扉が開く。どうしても行きたくなかった。
北側の扉から朝の光が玄関に満ち、その扉が閉まる前に、わたしの意識は、ブツン、と途切れていた。
つぎに目覚めたときは、玄関は闇で満ちていた。
わたしは扉のほうを見つめたまま、つまり、朝出る直前と同じ感覚のまま、そこに突っ立っていた。突っ立っていた、というのはもちろんイメージで、わたしは単にそこに取り残されていた――残留思念のようになっていただけだったんだろう。
扉が開き、かつてわたしだった肉体が帰ってきた。
扉の向こうはすっかり夜で、わたしだった手が玄関の電気がつけて、現在のことがよくわかるようになった。
帰宅してきたわたしは疲労していた。髪は乱れ、メイクも崩れ、背中が丸まって、丸一日労働してきたOLそのものだった。
わたしだった肉体は機械的に生活をつづけていく。
鞄を部屋に置き、アウターを脱ぎ、手を洗い、買ってきた食材を冷蔵庫に詰め込む。部屋に暖房をつけ、髪を解き、毛先からブラシで梳き、洗面所でメイクを落とす。服を脱ぎ、服を洗濯機にかけ、風呂に入る。髪を乾かす。スキンケアをする。ご飯の用意をする。ご飯を食べる。食器を洗う。洗濯物を干す。ふしぎなことに、動作ひとつひとつに一切の躊躇がなく、疲れとは切り離されて動けるよう、訓練されているのだった。
疲れと切り離されているんじゃないか。
わたしと切り離されているんだ。
ぼんやりとYouTubeを眺めると、わたしは泥に沈みこむように眠ってしまった。ボディスキャンとか、アリスとか、呼吸法なんて関係ない。肉体は、肉体を回復させるためだけに健やかに眠り、肉体を回復させるためだけに健やかに食べる。基本的で効果的な生存方法。わたしは、わたしだった者のそばで頬杖をつく。肉体が一日切り離していた精神的疲労を、今もわたしは、背負っているんだろうか。押しつぶされそうな負荷が、その瞬間どっと押し寄せ、わたしは悲しみに浸された。わたしは、今日一日なにもしていないのに。なにも見ていない。聞いていない。だれにも意地悪されていない。わたしはわたしとして息をしていない。なのに、いるだけで苦しいのはなんで?
わたしがいなければ、肉体は健康そのものとして社会で働いている。感情さえなければ。わたしは、わたしはだれなのだろう?
わたしだった肉を見つめる。どこに注目していいかわからず、焦点の定まらない捉えどころのない顔の造形は、いや、どこからどこまでが顔と言ったらいいのかも判別がつかない肉だが、ともかく常識的な面積を顔として考えて、でもこれは、とても人間のように見えないのだった。
わたしは後ろ、後ろへ後ずさり、窓からベランダに出る。もちろん、わたしは霊体のようなものだから、実際に出ているのではない。イメージだ。わたしはベランダの手すりに抱きつき、おいおい泣きながら、鉄棒でもするように上半身を乗り出す。勢いをつけて、前に後ろにと体を乗り出し、ひっこめをする。
ところで、今気がついたことだが、幽体離脱をしたわたしの背中の中央には、なんだか管のようなものがついている。これはわたしだったなにかに繋がり、重要な生命維持としての役割を果たしているらしい。つまり、命綱だ。
わたしが、なんど身を投げようとしても、これが命綱になって、止まっていた。
わたしは干された布団のように上半身を乗り出しながら、びしゃびしゃと泣く。
この世に安寧はない。
おもらしかってくらい涙が溢れ、わたしを悲しみで浸していく。
わたしは一生、眠れない。肉体が眠っても、なにも感じなくても、社会で生きていけても、わたしは、わたしひとりだけはこの世で一生眠れないのだ。
そのとき、だれかが、わたしを押した。
もちろん、わたしに実体はないので、これはわたしのイメージに過ぎない。わたしは宙に放り出されて、でも命綱がついているから、どうせ死にっこないと思っていた。
つまりわたしは、比較的落ち着いてそのショッキングな光景をまざまざと目撃することができた。何ヶ月も切っていない髪が風でなびき、顕になった顔の中心で二粒の雫が光った。朝の四時にわたしのベランダに出てこれるなんて、わたし自身以外ありえない。かつてわたしだった、今もどこかわたしと繋がっているわたしは、わたしの背を押すと、自分もそのまま身を投げ出した。
一切の躊躇がない、機械的で、なにを考えているかわからない――なにも考えていなかったんでしょう。だって、やっぱり、わたしはわたしなんだから……――動きで、空を飛んだ。
わたしたちは宙でいっしょになった。
わたしたちは宙でいっしょに安らかになった。
六階から落ちた死体というのは、布団の中で冷たくしているのと違って、無惨に汚れたものだった。
顔面はつぶれて、どこからどこまでが顔かわからない。人間であったのかも定かではない。
でも、これでも、わたしはたしかに、人間として生きてきたんだ。
わたしは事故現場から立ち去る。
わたしは正真正銘、魂の存在になった。
つかの間でつながって、一瞬でぐちゃぐちゃになってしまった死体は、もうわたしとは交わらない。わたしは目頭を擦る。
わたしはがんばった。
人間として疲れ果てて、わたしは、やりきった死体になりたかったのかもしれない。
そんなわたしの背を、だれかが撫でる。もちろん、イメージだ。
わたしは振り返る。わたしは駆けた。一瞬で、かつてわたしだった死体の元に行き、抱きしめた。
死体は、なにを考えているかわからない顔している。
六時半に近所の草むらで起き、七時四十五分に外に出て、活動して、十九時に帰宅する。機械的で、死体に優しい健やかな生活を、勝手に送っている。
わたしはそれに着いていく。
あれから死体は回収された。燃やされて、骨になって、どこかにいった。死体の、家族のもとにいったんだと思う。
けれど、死体はわたしの表面にコピーされたまま、まだここにいる。
つまり、わたしは怪異だけど、実際に存在していて、そういう観点でいえばまったくの怪異というわけではなかった。死体を表面的にコピーしているから、だれからも見えるし、足はあるし、顔はないけど、話したり、聞いたりもできる。
本体はわたしだから、ここにないといえばないけど、在るといえば在る。死体に置いていかれたり、死体に放ったらかしで背を向けて眠られたりするのも、もうおわり。
わたしは今日も死んでいる。
わたしは、心。
そして、大好きな死体となって、ありのままでここにいる。
2/12/2025, 2:38:42 AM