色とりどりの花が咲く世界に、いつしか私はたたずんでいた。赤、青、黄色、白……数え上げればキリがないほどの、一面の花畑だ。
最後に見たのは病院の天井であったはずなのに。はて、ここはもしや天国か?
そう思って振り返った私の視界に、忽然と少女が現れる。まばゆい金の髪に白いワンピース姿。頭に輪っかを乗せた、わかりやすい天使だ。幼い頃に絵本で見た姿そのまんまだったものだから、私は思わず呆けた顔をしてしまった。私は仏教徒だったのだけれども。
「こんにちは、ヤスオさん」
天使はカタコトの日本語でそう挨拶する。私は呆然としたまま、軽く頭を下げる。
「こんにちは」
「これからあなたを天国に連れて行きますね」
にこやかな天使にそう告げられて、私は気のない声を漏らした。では私は本当に死んだらしい。あんな場所から落ちたのだから当然か。痛かったな。そう思い出す。人生で一番痛かった。
「でもその前に、一つだけ」
先ほどよりは滑らかな調子で、天使はそう続けた。
「人助けをしたあなたには、未来の瞬間のある一秒だけ、見ることができます。あなたのいない未来のことです。どうしますか?」
天使は小首を傾げた。そんな制度があるとは初耳である。私は考えた。一秒だけとは難しい。しかも私のいない未来という限定だ。
「どうします?」
繰り返す天使の微笑みを見ているうちに、ふと気がついた。この天使、誰かに似ている。そうだ、娘だ。まだ三歳の娘がもう少し成長したら、こんな感じの顔立ちになるだろう。そう思った私の脳裏に、一つひらめくものがあった。
「娘の花嫁姿が見たい」
そうだ、娘の幸せな姿を最後に見れたら、きっとそれで心置きなく天国とやらに行ける。
「わかりました」
天使は頷いた。そうして私の顔を見上げて口を開いた。
「それならもっと頑張ってください」と。
途端、天使の姿がどんどんと白けていき、急速な目眩を覚える。世界の天と地が逆さまになったみたいだ。天井がぐるぐると回っている。
—-—天井?
「遠藤さん!」
そこで私は目を覚ました。いや、そう気づいたのは、目の前に人の姿を認めた瞬間だった。
「遠藤さん、わかりますか!?」
肩を叩かれた私は、目だけで合図を送ろうとする。ここは病院だ。わかる。私はわかる。私は生きている。そう、ここは天国ではない。
『頑張ってください』
頭の中で、もう一度あの天使の声がする。そうだ、頑張らなくては。まだ小さな娘を残してなんていけない。私はまだ死ねない。
あの時、花嫁姿を見てしまわなくてよかった。満足してしまわなくてよかった。
私は目を見開き、医療者と目線を合わせる。そうして未来を積み重ねるために、必死に喉を震わせた。
4/19/2023, 10:43:36 AM