大狗 福徠

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私は困りあぐねていた。
目の前に咲くは桜に桔梗、秋桜、椿。
それどころか庭に植えてあり全ての花々が開花している。
今の季節は冬。
椿やら牡丹はよかれども、その他の花々は全く季節ではない。
この家を貰い受け、荒れ果てた庭を整えもはや半世紀。
このようなことは今までになく、書物を調べても類似の現象は見当たらなかった。
咲いて、散る分にはまだいい。生きているのだから。
ただこのように季節外れに咲くのはこの子達にとってよくはない。
咲くこと、咲き続けること。
それに使う力はばかにはならない。
花の終り、散った末にこの子達は耐えきれず枯れてしまうのではないか?
私と人生の大半を共にしたこの子たちを、私は一斉に失うのか?
そんなことを思っていても、花の延命は出来やしない。
方法はあれど、このような敷地や立地では実行してやることが出来ない。
花が散り、じきに皆枯れて朽ちてしまった。
時期の子たちも、釣られるように狂い咲きのあとに朽ちた。
せめて弔ってやるべきなのだろうが、今はその気が起きない。
春になってようやく、皆に向き合う事ができた。
締め切った障子を開け、とうに荒れ果てているであろう庭を見る。
そこには、数多の新芽が芽吹いていた。
ああ、長年生きたお前たちはわかっていたのだな。
もう己の体が持たないことを。
だからああして、死期を早めてでも子供を残したのだろう。
置いていくのではなく、共に生きるために咲いてくれたのか。

3/1/2025, 3:16:56 PM