長い入院生活で、一度だけ目を開けたことがあったらしい。
「先生がずっとこのままかもしれない、って言った日の夕方だったかな」
いつものようにウサギ林檎を食べながら指先を触っていたら、不意に目を開けたそうだ。
「いつもと変わらない大好きな目だった」
でも、いつもよりちょっとボーッとして、天井を見上げたまま、ほんの少し笑ったらしい。そしてまた眠りに落ちた。
「なんか、安心しちゃって」
そう言ってアイツは笑った。
「何にも変わってない。大好きな目で、大好きな笑い方で、大好きな君だった」
それから八ヶ月と十三日で、俺は退院した。
医師の話では、あのままずっと目を覚まさないか、目を覚まして退院するかは半々だったらしい。家族は奇跡だと言っていたが、俺は違うと思う。
シャク、と音を立てながらウサギ林檎に齧り付く。
俺の目の前で食べられる為に新しいウサギが生まれる。ウサギは俺の記憶より形がいい。
丸っこい、柔らかそうな指の持ち主がナイフで器用に林檎の皮を剥いていく。
俺が目を覚ましたのを奇跡じゃないと思ったのは·····、あの指のあたたかさを、ずっと感じていたからだ。
「なんか言った?」
「なんにも」
アイツが笑う。やわらかな眼差し。俺の大好きな目。
きっと、アイツの目に映る俺もこんな感じなのだろう。
なんだかとても――しあわせだ。
END
「安らかな瞳」
3/14/2024, 3:26:01 PM