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きっと明日も今日と変わらない。

この言葉が持つ密かな毒は、自分への関心の薄れだ。

今日という一日と明日という一日は同じであることはない。

例えば、自分の細胞一つをとっても新陳代謝で知らぬ間に入れ替わっている。
通勤途中に見かける植物も、昨日は蕾でも今日は花開いているということがこの世界では起きている。

密かな変化というのは常に起きているのに
それに気付けない、気付かない。

日々忙しいから気付けない。

その意見は、ごもっともだと思う。

でも、それだけではなく、自分の事より他人の事に時間を費やしている事も原因の一つだと私は思っている。

労働の本質は本来、自分の為だ。
お金を稼いで生活する手段としてあるのが労働だ。
しかし、社会で求められる労働は、会社の為、お客様の為であり、自分の為と言う人は少ない。

それ以外にも、個人の趣味であっても、「これが好き」という言葉一つ言うだけでも、他人の目を気にして言えない時がある。

自分の関心の向きが見えない他人にまで及んで、心ここにあらずの生活を送ってしまい、身近で起きる変化に気付けない。気付かない。
そんな事が起きているのではないだろうか。

だから、「きっと明日も…」ではなく、
「きっと明日は」という言葉に言い換えて関心を自分に戻していこう。
他人へ向かう関心の矢印を自分へ戻せば気付くことがきっとある。
たまには自分自身を見てあげるのも大切なのかもしれない。

9/30/2023, 11:11:24 AM