川柳えむ

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 ある休日。
 誰も彼女を知らない場所で、彼女は一人歩く。
 あてなどない。ただ、どこかへ行ってしまいたくて。自分の存在を消してしまいたくて。
 現実を考えてしまえば、それはシンプルでありながら難しい。
 周囲の悲しみが想像できてしまうから。こんな無価値な自分でも、悲しむ人が少なからずいるから。
 だから、擬似的に消えてみる。遠くへ一人消えてみる。

 知らない土地。静かな街。道端で人々が会話している。
 そんな情景は、彼女にとって背景というよりも、いっそ別世界のようで。だから、そのまま通り過ぎた。
 当てもなくふらふらと、ただただ歩いた。
 木々が風に揺られて騒いだ。緑の隙間から光が顔を出した。彼女は目を細める。
 彼女は歩き続ける。

 いくつかのそんな風景を通り過ぎて、彼女は海へと辿り着いた。
 海は太陽に照らされきらきらと輝いて、彼女を迎えた。
 瞼を閉じて、波の音に耳を傾ける。
 どこか広く狭い場所にいるような、暗くて明るい場所にいるような。やっぱり、どこか別世界にいるような。
 日常から抜け出して、辿り着いたどこか別の日常へ、彼女はやって来たのだと思った。

 再び瞼を開いて、浜辺を歩いた。
 しばらくそうしてから、浜辺を出て、海沿いの道を歩く。
 まっすぐ歩いていくと、その先に切り立った崖を見つけた。
 その場所を目指して、彼女は歩いた。そして、そこへ到着すると、崖から足を投げ出して腰を下ろした。
 風を受けながら、だだっ広い海を眺めた。
 そこには青だけが広がっていて、まるでこの世界にいるのは自分一人だけのようだった。
 みんなが世界から消えたのか、自分が世界から消えたのか、そんなのはどちらでもよかった。ここにいるのは彼女一人だけだった。

 日が暮れるまでそうしていて、そして、また立ち上がった。
 また、いつもの世界へと帰る。
 そう簡単に世界は逃がしてくれやしない。振り向けば、そこで待っているのだ。
 消えるのは容易いことではない。彼女は今を生きている。


『今を生きる』

7/21/2025, 7:13:29 AM