yukopi

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先日博物館に行った帰り、館内のお土産売り場で『一生のお願い』を連呼している子どもがいた。
少しぽっちゃり型の小学生の女子である。

「一生のお願い!一生のお願い!一生のお願い!」

隣には細く長身な父親がいて、何度も連呼しながら背の高い父親を見上げている。

そんな女子の顔は…笑っていた。


父親は足元でせがむ我儘娘であっても、まだ可愛くて仕方がないのだろう。
鼻の下を伸ばしながら、内心(まいったなこりゃ)という満更でもない顔だった。
何に対して、一生のお願いを繰り返しているのかと見ていると、パンダの形を模った鉛筆削りだった。


わたしからしてみれば、(なんだこんなもの)という目で見てしまうのだが、あのパンダ大使でもある黒柳徹子だったら、この女子と同じ尊い目で見るのだろうか?
わたしの目には、女子の隣に「あらぁ、いいわねぇ」という黒柳徹子の幻影が見えはじめていた。


わたしから見る女子は、それなりにあざとかった。
だが我が子を愛おしく想う父親の目に映る娘の笑顔は違ったものに見えているのだろう。
我が子に対する声色も緩みきっていた。
しかしながら紛れなもなくとも、あざと女子の笑みは、わたしが知っているものだった。



…子ガキめ。
此奴、自分の立場というものを知っておるな…。




…そう、かくゆうわたしもこの手を何度、使ったことだろうか。
口は悪い事は確かだが、わたしが敢えて"子ガキ"と称したのは、其奴の顔が、思っているほどに困っていない顔をしていたからである。


実は、わたしは未だに『一生のお願い』を使ったことがない。
しかしわたしが未だに一生のお願いを未使用であっても、この光景は過去の記憶の中で幾度となく見てきたものであった。


…フッ、幼いガキよ。
この歳にして、味を占めた顔を親に仕向けているが、まだまだそんなことではこれから先上手く事が進むようには思えないな。

例え一生のお願いを使わなくとも、
父親という者は娘に弱いのだという事を、早く違う道で知るが良い。
『一生のお願い』という言葉は所詮まやかしであり、幻想に過ぎないのだ。連呼して叶うのは、ほんの一途期だけだ。


これは戯言か?いいや、哲学である。
言葉の真理と心理の化学反応だ。
そういう運を持っているか拾うかは、全て貴様の選択次第なのだからな。フハハハハハ


…と、かのパツキン愉悦王ギルガメッ…なんとか関智一みたいに成り切った様子で見ていると、
父親は、娘の頭を撫でながら宥め、顔が緩んで往くのを見た。


((あ…この顔は))


この瞬間、愉悦王なわたしが悟ったと同時に、子ガキも咄嗟に悟ったに違いない。
わたしがすかさず子ガキの顔を確認すると、既に勝利の笑みを浮かべていた。
そう、まるで過去の幼いわたしのような勝ち誇った、勝利の笑みを。


子ガキは、はしゃぎながら父親の背を追ってレジに向かっていく。
親バカ子ガキの2人を見送った後、わたしは思っていた。


…子ガキよ。お主もいつか気づくときがあるだろう。いつか大人になり自ら働いて生きていくのは、それなりにお金がかかるものなのだということを。
敢えて言おう!自分が何事もなく育っていたのは親の懐の深さがあったからだと!



あー…、お金欲しい。



お題: 今一番欲しいもの

7/22/2024, 3:44:14 AM