Sasha

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その日、私はいつものように家を出た。そしてコンビニの前の交差点を右に曲がり、路地を抜けて駅に向かった。

本当に、いつものように。しかし今日は、なんだか様子がおかしい。道を行く人が、みんな私の姿など見えないというように、真っ直ぐに私に向かってくるのだ。

私はかろうじて、右に左に身をかわす。

「武道をやってなかったら、ぶつかってるやん…。」

私はブツブツと文句を言いながら会社に向かい、会社のすぐ手前のコンビニでアイスコーヒーを買って、デスクに座った。

パソコン仕事が中心になってから、同僚とはほとんど会話もしなくなった。私の挨拶に応えてくれる人なんていない。

私がノートパソコンを開けたとき、向かいの山本朋子が、真っ青な顔をして私を見ているのに気づいた。ふだん会話なんてまったくしないのに、珍しいこともあるもんだ。

「どうしたの?」

私は話しかけた。しかし声が聞こえないのか、彼女は口をパクパクさせたままだ。

「岡山さん…。」

彼女は私の名前をかろうじて口にした。

「?」

不思議に思いよく見ると、机の上には白い花を飾った花瓶がある。山本朋子は、手に一万円札の束を持っている。机の上には、何かの名簿があるようだ。

身体を伸ばして名簿を見ると、「岡山さん お香典」と書いてあった。チェックボックスには、社員の半数ほどの名前にチェックが入っている。

「お香典?私の?」

何を言ってるんだ。と私は自分の手を見た。向こうの壁やカーテン、観葉植物が透けて見える。足元を見ると、うっすらと靴の向こうにグレーの床が透けている。

そこで突然思い出した。私は、ゆうべ車に轢かれたのだ。コンビニのドアを出て、急いで家に帰る途中に。電気自動車の気配を消したエンジン音に、全く気づかなかったのだ…

そうだ、私は死んでしまったんだ。そのことに今初めて気付いた。まったく、なんてこった。死んでまで会社に通ってしまうとは!

息子はどうしているだろうか。思うやいなや、フッと身体が、いや意識が移動した。息子は、大学病院の霊安室にいるようだ。

【私の名前】

7/21/2023, 3:51:10 AM