薄墨

Open App

明日、もし晴れたら。
火をつけに行こう、町の外れに。

窓を開ける。
むわっとした熱気が飛び込んでくる。
今日は、抜けるような青い空だ。
真っ青な空を、翼を持つ獣がぱたぱたと羽音を立てて飛んでゆく。

明日、もし晴れたら。
火をつけに行こう、終わりに向けて始めるために。
旅を始めるために。

夏の虫の声がうるさい。
五月の虫よりもずっと。

テーブルの上に置いていた新聞が音を立てて落ちる。
今日の地方新聞。
いつも通り、様々な事件の記事が並ぶ。
三面の左下に、小さく、禁足地域の住人の処理状況が報道されている。

魔物がいるこの世界の王国には、地域によって明確な格差があった。
最も酷いのは、魔物の巣窟のすぐそばに住む村の暮らし。

そこでは魔物を操り、魔物と共に生きる人がいる…らしい。
しかし、その村は禁足地だった。
虐げられし者たちの村だった。

なぜなら魔物は、_少なくともこの王国では_人類の敵とされていたから。

だから、私の慕っていた姉弟子は、勇者として、魔物の王を討伐しに旅立ったのだ。

それほど強くもなく、冒険も荒事も得意でなかった私は、強く正しく清い姉弟子たちを眩しく見送った。
そして、私は書籍管理者としての職務を全うしていた。

禁足地域の資料を見つけたのはたまたまだった。

それはたくさんの書籍を保管する書館の一角に、ひっそりと置かれていた。

禁足地域の人々は魔物と共生していること。
禁足地域の人々にとって、魔物と人間の境界は紙一重で、人間が魔物となることもあるし、魔物と人間の合いの子すら珍しくないのだということ。
禁足地域の人々と魔物を恐れて、王国は彼の地を征服した時に身勝手で厳しい法律、社会カーストと税、差別を課したということ。

そのせいで禁足地域の村は未だに争いが絶えず、惨めで酷い光景が広がっているということ…。

魔物の王は魔王と呼ばれている。
魔王は狡賢く、強靭で、支配的で、人類を脅かすほどのリーダーらしい。

…魔王は本当に魔物なのだろうか。
禁足地域の村人が、この国の支配から抜け出すために魔物となって、この王国を滅ぼそうとしているのが魔王なのではないか。

…私の姉弟子は、魔物を討伐しに行くのだろうか。
……禁足地域の哀れな人間を反逆者として殺しに行くのではないのか。

私は姉弟子を慕っている。
姉弟子の、真っ直ぐで、凛とした、正義らしい高潔さが大好きだった。
…姉弟子に人殺しなんてしてほしくない。

だから私は、禁足地域へ、姉弟子の先へ行かなくてはならない。
彼女が全てを知ってしまう前に。
彼女が魔王の存在を疑う前に。
彼女が真の勇者であれるように。

まずは証拠の隠滅だ。
禁足地域の国家計画資料は既に全て集めてある。
民に秘匿され、支配層の誰もが目を逸らしたい、王国きっての汚点の資料だ。紛失に気づくまでには随分時間がいるだろう。

明日、もし晴れたら。
火をつけに行こう、この資料たちに。
暗黒の歴史たちに。

そして見届けよう。禁足地域の全てのことを。
なんとしてでも勇者より先に、魔王の正体を知るために。
魔王をどうにかするために。

熱風が窓から吹き抜ける。

窓を閉め、カーテンを引く。
まとめた荷物を、ベッドの横に揃える。

明日、もし晴れたら。
そんな言葉に逃げる自分が、嫌になる。
私は弱くて、小狡くて、捻じ曲がった卑近な人間だ。
姉弟子とは違って。
だから大丈夫。

空は隅々まですっきりと晴れ渡っていた。

8/1/2024, 2:09:07 PM