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裏返し
彼女はとても優しい人だった。
いつもリバーシブルになっている洋服を着ていて、
表がブラウン、裏はわからなかった。
チャックの付いている丈の長いパーカーだったが、雪の日も風の吹く日も雨の日も晴れの日も春夏秋冬、チャックを全部閉めて着ていたためだ。
暑くないのかと聞いたが、彼女の巧みな話術の前では何も出来なかった。
とても、優しい人だった。
少し紅く染めた頬、色の抜けた暗めの茶髪、人懐っこい笑顔、切長な細い瞳。彼女の全てが好きだった。そばにいると、とても暖かくて、優しい気持ちになれる。

ある日、街で彼女を見かけた。
声をかけようと思ったが、いつものおっとりとした足取りとは違う、一刻も早くここを立ち去りたいとでもいうような、とても速い動きについて行けなかった。なんとか追いつくと、そこに彼女はいなかった。
とても薄暗い路地裏で、彼女の雰囲気とも合わない。
 代わりに、濃い赤の、すこし色褪せた丈の長いパーカーを着ている女性がいた。背丈やパーカーの長さ、髪色などが同じだったため、声をかけようかとも思ったが、やめた。なぜか?
それは、明らかにその女性が、彼女ではなかったから。
彼女もその女性も美しい切れ長な目をしていたが、その瞳に映しているものが、全くと言っていいほど違った。
いつもの彼女は瞳に、たくさんの光と、希望と、美しいこの世界を映している。
だが、目の前の女性は、瞳に何も映していなかった。
正確には、何も映したく無い、そんなようなことが伝わる何処までも深い闇があった。
世界を憎んでいる様な、全てを諦めている様な、、、、
この女性の瞳に映る世界は、暗く、淀んでいた。
ここの路地裏が薄暗いからなのか、彼女が心に何かを抱えているせいなのか、定かではなかった。
そんな事を考えながらその場に立ち尽くしていると、女性は隣をするりと抜けて、自信を持った、確かな足取りでこの場を後にした。

横を通る際、微かに、いつも彼女からする匂いがした。香水でも、柔軟剤でも無い不思議な匂い。
信じたく無いけど、「彼女だ」と体が言っていた。
呆然としていると、不意に体から力が抜けて膝から崩れ落ちた。下に水溜りがあって服が汚れてしまったのに気づくのは、今じゃなくていい。
着ていた上着を無造作に脱ぐ。
裏返しにして、着た。
リバーシブル用の服でないため、処理し忘れの糸や不自然な色合いなどが目立つが、しっくりきた。
彼女は服を裏返して着る時、いつもこの様な気持ちになるのだろうか。
たちあがると、その近くに倒れている人がいることにようやく気づいた。その周辺に紅い水たまりがあって、それで服が汚れたことにも。

服を裏返して着ると、こんなに気持ちが変わるものなのか。ふと、何時か気になってスマホを確かめると、目を疑った。見たことのない様な怪しい光と、闇を映していた。
初めてよく見てみた瞳には、つまらない、
本当につまらないクソみたいな世界が映っていた。
でも、彼女の瞳のなかにみた世界と同じだった。
こころから、微笑んだ。
スマホに映る自分は、どうみても微笑んだというような優しい笑いはしていなかったけど。

8/23/2023, 7:46:38 AM