朝倉 ねり

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『kiss』

あの日の貴方の横顔は、酷く静謐でした。
リビングの2人掛けソファに座った貴方は、机に置いている百合の花弁のようなランプをぼんやりと付けて、ただぼおっとしていました。
あの時の私達の間には、心地よいと言うには些か冷たい空気が流れていました。
だって、私達は他人よりは少し近いだけの、恋人でもなんでもなかったのですから。

貴方の目は、ランプの光を反射して明るく輝いているのに、どこか虚ろでした。
客人である私がいるのに、貴方の心は肉体とは違うところに在るようでした。
高い鼻梁、シャープな顎。
長くけぶるまつ毛に薄く上品な唇、熱のない瞳。
私など忘れているかのような気のなさ。

ふと、貴方のその美しい唇に接吻をしてみたくなりました。
貴方が好きとかそういうのではなくて、ただ、貴方のその美術品のような横顔の均整を崩せるかなと興味が湧いたのです。
でも、結局止めました。
貴方は私からの行動に動揺するほど、私に心を預けているわけでも、逆に全くの無関心でも無かったからです。
「……帰るね。」
私は貴方の蕾のような唇に重ねようとしていた自らの口をモゴモゴと動かして、暇乞いをしました。
言葉と共に出ていく空気が唇を掠める度に、どうして接吻なんてしようと思ったのか、と後悔が私の胸をさらっていきました。
それが、貴方との最期の、つまらない邂逅でした。


次に貴方と会った時には、貴方は白い箱の中に詰められていました。
その時に初めてまじまじと、貴方の顔を正面から見た気がしました。
綺麗な顔。
不謹慎にも思わず見とれてしまうほどの美貌が、花に囲まれて永遠の眠りについていました。
貴方の作り物めいた白い顔には化粧が施されていて、私があの日見つめた唇には紅がさされていました。
(ああ、この人は死んでしまったのだ。)
生前よりも紅いその唇を見た時、私はそう自覚したのです。
ええそう。自覚して、しまいました。

「……あの時、キス、すれば良かったな」
そうすれば貴方の柔らかな肉は、まだ暖かかったでしょうに。
私のこの口に出す前に消えてしまった想いも、暖かいままだったでしょうに。
静かな白ばかりの斎場の冷たさは、私と貴方の隔絶を如実に表していて、ぞっとするほどあの日の貴方の虚ろな瞳に似ていました。

私は手渡された白百合にそっと唇を寄せた後、静かに貴方の左足あたりに花を添え、足早にその場を去ったのでした。

2/5/2026, 9:23:50 AM