子供のよう、と言われる程、子供とは自由だろうか。
無邪気で、奔放なものだろうか。
得てして、大人になると子供に「無邪気」という幻想を抱きがちになるのは何故だろう。
子供は、子供なりに色々と大変だ。
大人の顔色は見なければならない。
集団に属する上での空気も読まなければならない。
個か集団かを選べる選択肢もなく、属する集団を自分で自由に選ぶこともできない。
行ける場所も。
得られるものも。
誰かの力を必要とする。
子供が真に自由なものなんて、きっと心の中くらいだろう。
忘れて、遠くなるから。
長い長い大人としての時間より、短い子供時代がきらめいて見えるだけなのだ。
子供のよう、なんて言葉、子供には使わない。
子供のよう、なんて。
自由になりたいのに未だになれない大人が、
自由に見える大人に幻想を重ねて使うだけの言葉なのだ。
そして、子供のようと言われる私は
今日も、まるで子供のように。足枷などないように。
幻想を見せながら、人生を踊っている。
お題/子供のように
10/14/2022, 8:42:32 AM