逆さま
吊された男…正位置は受容を逆位置なら呪縛からの解放を意味します。
はい、タロットカードです、中二が好きそうなやつです。
逆さまに吊された男は、過去と現在を見つめ新たに生まれ変わろうとしています。即ち過去を見つめられない者は現在を見失い新たに生まれ変わることが出来ません、温故知新の心は大切に(笑) 時間は過去から今へそして未来へ流れ、逆さまには流れないということは忘れてはいけません。
いくら、乗り越えたの知っているのと言ったところで、それらは他人があなたを評して使う言葉で、自分で乗り越えましたは日本語としては自惚れになります。自分のことを語り苦労を語っても、私は努力し乗り越えましたは自分に使うと非常に高慢に聞こえます。それはあなたの話を聞いた人が使う言葉で、他人に対して使ってこそ値打がある言葉です。
「ご苦労なされましたね、そうして乗り越えてらしたのですね」です。自分に対して曖昧で大まかな形容詞を使い自分を表現すると、その言葉とは逆さまに写ります。例えば、美しいも優しいも優秀だも繊細だも、乗り越えたも自分で自分に使うと逆さまに写り滑稽です。自分を語る時には具体的な出来事を話し、それを聞いた人が美しいも優しいも優れているもいないも繊細だも乗り越えたも主観で評するだけです。
逆さ男の意味は、「物事の見方を変えれば新たな真実に気づきを得ることが出来る」という意味を表しています。
「人間万事塞翁が馬」と同じようですね(笑)
その昔、国と国を区切る境の塞の近くに、老人が住んでおりました、ある時老人が飼っていた馬が隣の国に逃げてしまい、近所の人たちは可哀想にと言い合いました、しかし老人は「これが幸運を呼ぶかも知れない」と思いました。暫く日にちが経つと、逃げた馬が立派な馬を連れて帰って来たのです。
近所の人たちは驚いて祝福しましたが老人は「このことが、禍を引き起こすかも知れない」
と案じました。その通り老人の息子は馬に乗り落馬し足の骨を折る大怪我をしたのです。
近所の人たちは、見舞いに来て老人を励ましましたが老人は「このことが、幸運を呼ぶかも知れない」と思っていました。
やがて、隣の国と戦争が始まり若者たちは戦争に駆り出され、近所の人たちの子供はあいついで戦死しましたが、落馬が元で足を悪くした老人の息子は足手まといだからと戦地に駆り出されず、命を落とすことはありませんでした。
何が幸運につながり不幸につながるかは分からない、逆さまの視点を持つことはどんな状況にも大切(笑)
このエピソードから「人間塞翁が馬」という諺が生まれましたとさ。
令和6年12月6日
心幸
12/6/2024, 11:41:09 AM