すゞめ

Open App

『胸が高鳴る』

 いつもより緩やかな朝。
 リビングのソファで彼女は携帯電話を耳元に当てがい、楽しそうに声を弾ませていた。
 しばらく後、通話を終えたタイミングで俺は声をかける。

「ちょっと」
「ん?」
「胸元、開きすぎです」

 ポロシャツのボタンを全て開けている彼女の胸元は無防備だ。
 首元はともかく、普段は滅多にお目にかかることのない鎖骨が露わになっている。
 指摘すれば、彼女の視線が素直に防御力の低くなった胸元に移った。

「え、そう?」
「見えそうで見えない状況って、一番、目力が働きます」
「その状況で私の胸元をガン見するのはれーじくんだけだよ」

 んなわけあるか。

「あなたはご自分のかわいさを、もう少し自覚してください」

「私のツンツルテンな体に触れたがるのはれーじくんくらいだよ?」

 その理論は、彼女に元カレが存在している時点で成立していない。
 ガバガバなのは胸元ではなく、彼女の言い分だったようだ。

「そうですね」

 言いたいことは山のように出てくるが、ひとまず、この目に毒な胸元を隠すべく、彼女に代わってポロシャツのボタンを留めていく。

「少し痩せたでしょう?」
「え、あぁ……、3、4キロくらい? でも、すぐに戻るよ?」
「当然です」

 昨夜、彼女は海外遠征から帰宅したばかりだった。
 1日で体重や疲労は元には戻らないだろうが、1週間もあれば問題ない。
 問題は、気の緩んだ彼女を前に、俺の理性がはち切れそうになっていることだ。

「あと、俺は見えそうで見えない状況で、最終的に見えちゃうシチュは、一番癖に刺さります」
「ん? なんの話?」

 キョトンと首を傾げた彼女に、ため息をつきたくなった。
 あざとさを狙っているのならまだいい。
 彼女の場合、それが全て無自覚だから、タチが悪い。

「休みだからと、痩せた状態で一時的とはいえサイズの合わなくなったカップつきインナーを着て、シャツのボタン全開なんですよ? 俺との身長差考えてみてください。上から魅惑のおっぱいが丸見えです」
「!? えっち!!」
「やっとわかってくれました?」

 今さら俺から距離を取り、胸元を隠す彼女に、俺はようやく満足する。

「俺、2週間もあなたに会えなくて寂しかったんですよ?」
「いつものことじゃん」
「しかも、今日は、自宅でのんびり過ごす予定です」
「え、で、出かけたかった? カフェとか買い物とかする? さすがに遠くに出る元気はない、けど、そ、それくらいならつき合うよ?」
「お気遣いはありがたいですけど、今日はあなたの疲労回復が優先です。そうではなく……」

 とっくに留め切ったボタンの上から、彼女の胸元に触れた。
 胸元、脇腹、太ももと、ゆっくりと指を滑らせる。

「誰にも邪魔されず、好き勝手あなたに触れられる状況が揃っていることを、自覚してください」

 俺の指を意識して徐々に顔を赤らめていく彼女に、俺のほうも期待値が上がった。
 耳奥で高鳴る鼓動をごまかすために、ソファに体重を乗せてスプリング音を立てる。
 彼女ごと体重をソファに預ければ、特に抵抗されることなくおとなしく押し倒されてくれた。

「口うるさく言いたいわけではないし、気をつけろと言うつもりもないのですが、……俺も、我慢が効かなくなるので」

 すっかりおとなしくなった彼女の耳朶に触れる。
 少し先の尖った耳の輪郭が愛おしくて、何度も指を往復させた。

「無自覚な誘惑は、程々にしてください」
「わ、わかっ……た……」

 上ずった声でうなずいた彼女に満足した俺は、彼女の赤くなった頬に唇を落として、そっとソファから離れる。

 体を起こして背筋を正した彼女は、なぜかプチプチとシャツのボタンを外した。

「…………俺の話、聞いてました?」
「意図的な誘惑だったら、いいんでしょ?」

 はあああっ!?
 昨日の今日だぞ!?
 まだ疲れてるクセに!?
 しかも朝だぞっ!?

 意味をわかって言っているのだろうか。
 だが、俺だって、あそこまでして意味が伝わらないような愛し方をしてきたつもりもない。
 首元まで真っ赤にしてものすごく照れているクセに、彼女は挑発的に口元を緩めた。

「でも」

 形のいい薄桜色の唇を攫おうとしたところで、彼女の小さな手に阻まれた。
 警戒心を研ぎ澄ませた彼女の反射神経は、相変わらず、見事なものである。

「ちゃんと夜まで我慢して」
「はああああっ!?」

 とんでもないお預けを食らい、今度こそ声を出してしまう。
 ドッ、ドッ、と、心臓が破裂しそうなくらい高鳴った。

3/20/2026, 8:49:49 AM