せつか

Open App

それが無欲からくる言葉ではないことは、声で分かりました。
朝、「おはよう」と言うのと同じくらいの何でもなさで、会話の続きはもう無いのだと言わんばかりの素っ気なさで、それでも彼は笑うのです。
それは暗に、「本当に欲しいものは君から与えられるものじゃない」と言われているかのようでした。

――いえ、彼は本当に「何もいらない」のかも知れません。
彼の心の中には今も確かにあの方がいるのです。
私がもう顔を思い出す事すら出来ないあの方を、彼は今も胸に住まわせているのです。そんな彼に、私が与えられるものなどありはしないのだと、私自身がよく分かっていました。

「何もいらない」
そう言いながら、彼は今日も優しく笑って私の隣を歩くのです。彼が隣にいるという幸福を、共に肩を並べて歩ける喜びを、与えられているのは私の方でした。
自らが与えられないことを悔やみながら、彼から剥がれ落ちていく小さな欠片を拾い集めて浅ましく貪っている私という獣は、もう彼無くしては生きられないほどに、その味の虜となってしまっているのでした。

――あぁ、なんて、羨ましい。
彼の胸に住むあの方へ向けた感情は、醜くも愚かしい、決して彼に知られてはならないものでした。

END

「何もいらない」

4/20/2024, 3:55:39 PM