―時を告げる―
ふと、時計が視界の隅に映った。
11時48分…か。
『もう、こんな時間なんだね。』
目の前で僕と踊る少女に向けて、呟くように言った。
「え?」
光の加減でキラキラと輝く水色のドレスに身を包んだ
なんとも可憐な姿に似合わず、
素っ頓狂な声をあげる彼女がたまらなく可愛らしくて、
思わず笑ってしまいそうになる。
そんな僕を気にもとめずに彼女は時計を見た。
そして、とても分かりやすく驚いた。
「!?
…もう帰らなきゃ…!!
…今日はとても楽しかったわ。
一緒に踊ってくださってありがとう。さようなら…!」
そそくさと別れを告げる彼女に、今度は僕が驚く。
彼女はスカートの先を摘んで、上品にお辞儀すると、
即座に踵を返す。
その姿に、胸が締め付けられる。
まだ彼女と居たい。離れたくない。そんな衝動に駆られる。
今彼女を止めなければ、一生後悔してしまうような、
そんなことを直感的に感じた。
もう一生彼女に会えないなんて、そんなこと…!!
『待ってくれ!!』
叫んだ。
周りの目なんて全く気にせず、口が勝手に開いた。
彼女が振り返ることは無かったが、
裾の長いドレスとヒールのある靴はやはり走りにくいのか、
僕が数歩走るとすぐに追いつくことが出来た。
僕は、衝動的に彼女の手首をグッと掴んだ。
そして彼女の反応なんて気にせず、そのまま僕は口を開く。
『僕は…僕はまだ、君と居たいんだ。
少なくとも、明日の朝は、君と2人で迎えたい。
君さえ良ければ…僕と一緒に居てくれないか?』
突然の告白。なんなんだこれは。自分でも笑えてしまう。
こんなことをされたら、誰だって困惑でしかないだろう。
でも、僕自身は、至って真剣だった。
「…あの、気持ちはありがたいの。
それに私も、まだ貴方と居たいわ。
でも…鐘が鳴って魔法が解けてしまったら!…あ。」
しまった、とでも言うように彼女は口を手で覆った。
『魔法?』
「…………私、魔法使いに魔法をかけてもらって、
今この姿でいるの。今日ここに来られたのも、
そのおかげよ。でも、12時の鐘が鳴ったら、
魔法は解けてしまう…そしたら、そしたら私は…!!」
暫くの沈黙の後、彼女は思い切ったようにそう言った。
その彼女追い詰められたような声からは、
どこか怯えているような、
不安に打ちひしがれているような、そんな感じがした。
根拠なんてない。ただの直感だ。
だから――
『大丈夫だよ。』
そう、優しく優しく言って、彼女の言葉を遮った。
魔法が解けるとどうなるのか、聞くべきだったはずなのに、
僕は遮った。
しかも、何がどう大丈夫なのか、どういう理由があって
大丈夫と言えたのか、全く分からなかった。
けど、今は彼女をただ肯定してあげたかった。
僕は勢いに任せて彼女を優しく抱きしめた。
全く緊張しなかったと言えば、嘘になってしまうな。
「…!!」
そのまま、僕は彼女の耳元で囁くように言った。
『大丈夫。怖がらなくていい。何も怯えることは無いよ。
もし魔法が解けてしまったとしても…
―僕は、ありのままの君を愛すから―。』
目を見開いて、ただ驚きの表情を浮かべていた彼女の顔に、
キラリと一筋の光が伝う。
抱きしめていた彼女の体を1度離し、しっかりと顔を見た。
彼女の瞳は濡れていた。
僕は彼女の目に溜まった涙を、そっと指で拭った。
そして安心させるようにふわりと笑う。
『約束するよ。だから大丈夫。』
彼女の顔にはもう、驚きの色はなかった。
代わりに戸惑うような表情を浮かべていた。
そんなに、普段誰かに愛されることに
慣れていなかったのだろうか。
自分を好いてくれる人なんてきっと居ないだなんて、
思っていたんだろうか。
そんな思考を一旦振り切り、
可愛くて、優しいのに、愛され慣れていないお姫様を、
まっすぐと見つめ直す。
なら、僕が最初に愛してあげたい。
そして、この人の笑顔を、ずっと守っていたい。
『君のことが好きだ。
ずっと、一緒に居てくれ――シンデレラ。』
「…ええ。私も、貴方のことが、好きよ。
ずっと、一緒に居たい…。」
そう言いながらシンデレラは、とても幸せそうに微笑んだ。
この優しさに溢れた笑顔が、僕は好きなんだ。
ゴーン…ゴーン…
今、12時の鐘が鳴った。
舞踏会会場の真ん中で口付けをする2人に、
鐘が時を告げる。2人を気遣って、遠慮しているかのように。
やがて
シンデレラのドレスがボロボロのエプロンに変わっても、
ガラスの靴が消えて、裸足になっても、
2人の意思が変わることはなかった。
そして2人で微笑みながら、朝を迎えましたとさ。
めでたしめでたし。
9/6/2022, 12:25:21 PM