掌編小説『葉を落とした木』
十一月も終わりに近づくと、街にはすでに冬の雰囲気が漂っていた。
今日は久々にバイトもなく、気分転換に散歩でもしようと街へ出た。吸い込んだ冷たい空気が肺を凍らせるように息苦しさを感じて思わず立ち止まる。
踏み付けた枯れ葉が、虚しく情けない音を立てた。落ちてしまった期待が壊れ、信頼が崩れる音。
『頼まれ事は試され事』
中学時代、サッカー部の顧問がよく言っていた口癖は、今でも俺の心に刻まれていた。
周囲の期待が自分を成長させる。その言葉を信じて、今のバイト先でも、シフトの交代やら雑用やら、殆ど断らずに引き受けた。逆に断れば相手を裏切るように思えて怖かった。
気づけば、面倒くさい仕事は全部俺に回ってきた。薄々気づいてる。自分はただ都合よく使われてるんだろうって。それなのにまだ現状を変えるのが怖い。
ドクン――と胸の奥が波打って、急に視界がチカチカと白く光る。瞬間、景色がグワンと揺れた。膝が自分の重みに耐え切れなくなったように崩れ落ちる。薄れゆく意識の中で、枯れた葉がガサガサとノイズのような音を立てて砕けていく。
――おーい、副島(そえじま)。
ぼんやりとした意識の中で、中学時代の親友、中岡(なかおか)の声がする。
同じサッカー部で、二人揃って万年補欠。俺が補欠なのは練習しなかったからだけど、中岡の場合は顧問と相性最悪だったからだ。
――副島ぁ、生きてっかぁ?
次いで聞こえてくる中岡の声が妙にリアルに響く。
◆◇◆
目を覚ますと病院のベッドの上に寝かされていた。
点滴の管を負った先に、看護師の制服を着た中岡の姿があった。成人式の時に『看護の専門学校に通ってる』って言ってたけど、まさかこんな形で再会するとは。
「おっ、気づいたか?」
俺の視線に気づいて中岡がニカッと笑った。しかし、すぐに真顔に戻り、心配そうな声に変わる。
「道の途中で倒れてたってよ。ちゃんと休んでんのか?」
「いや……、最近忙しくてさ。でも、頼まれ事は試され事だし――。まあ倒れてちゃザマァないけど」
笑ったつもりが、我ながらみっともない声だった。
中岡は鼻で笑う。
「まだあいつの言葉引きずってんの?」
「引きずってるって……。一応、座右の銘なんだけど」
中岡は昔からズバッと物を言うタイプで、俺は彼のそんなところが気に入っていた。
「あんなん、学生こき使うための言葉だろ」
そして、顧問と喧嘩する理由でもある。
しばらくして、俺の腕から点滴の針が抜かれ、中岡が小さな絆創膏を貼ってくれた。
ふと窓の外に、ほとんど葉を落とした木が見えた。どこか寒々しい様相が俺によく似てる。
「葉っぱの落ちた木ってみすぼらしいよな。まるで俺みたいだ――」
頭の中で独り言を言ったつもりが、気づいたら口に出ていた。
中岡が「お前何言ってんの?」と相変わらずの口調で眉を跳ね上げた。
「逆だよ。お前は葉っぱ付け過ぎなの」
「俺が――付け過ぎ……?」
意外な言葉に俺は思わず問い返す。
中岡は腕を組み、わざとらしくため息をつく。
「いいか、冬になったら太陽も出ないし、水も吸い上げにくくなる。木にとっちゃあ過酷な状況ってわけ。そんな時でも葉っぱは栄養もらいたいわけじゃん。そしたらどうなる?」
「木が、枯れる……」
中岡の言わんとしていることが分かって、少し声が震える。
「そう。だから木は栄養残すために、自分の意志で葉を落とすんだ。みすぼらしいからじゃない」
中岡の言葉が胸の奥で根を張るように広がる。もっと早く中岡とこの話ができていたら、俺はもう少し自由に生きてこられただろうか。
「俺、背負うものを間違えてきたんだな……」
「人の期待に応えたいってのも悪いことじゃないと思うけどさ、そればっかりだと、いつかほんとに枯れちまうぞ」
情けないけど、少しだけ涙がにじんだ。
「おい、泣くなよ。気持ち悪ぃな」
「……泣いてねぇよ」
俺は中岡に顔を見せたくなくて、しばらく窓の外の葉を落とした木を眺めていた。
すっかり体調も良くなって病院を出る頃には、日も落ちかけて寒さが増していた。並木の木々は相変わらず寒そうに見えたが、春に向けての準備だと思うと、幾分か温かさを感じた。
スマホを確認すると、バイト先から『新人が休んじゃって、代わりに入ってくれる?』のメッセージ。
「落としてみるか……」
『今日は体調崩してて無理です』と入力し、緊張に震える指で何とか送信ボタンをタップする。
すぐに既読がつき、返事が来る。
『大変なとこ悪かった。ゆっくり休めよ』
緊張が緩んで思わず笑いが出る。
――なんだ、意外と普通じゃん。
もうすぐやってくる冬を、自分のために生きよう。そう思えた時、不思議と足取りも軽くなった気がする。
俺が足を踏み出すたび、カサカサと軽快な音が、葉を落とした木々の間で豊かに響いていた。
#落ち葉の道
11/25/2025, 3:51:44 PM