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【心の羅針盤】



一人は自身を「スーパーです」と言った。

一人は自身を「スーパーじゃない」と言った。


作詞作曲、さらには編曲を手掛け、ボーカルを身一つで行う、手に届かない領域なんてない無敵感。
そのカリスマ性で軽音部員、そして観客のテンションを高めていた。


一方は、
リーダーや裏方、部活の運営を一人で行う、社会のすべてを裏で仕切る者みたいな無敵感。
しかしそれを自信満々げに赤の他人に言うことはなかった。


天才が2日で作成した編曲済wavデータ。
天才が1日で作成したライブステージ。
その土台の上で演奏をする毎日。

絶対的自信。
絶対的謙虚。

軽音部の単なるベーシストの一人としかなかった僕にとって、その二人は理解の埒外。

部室に容赦なく移るのは、
才能の世界が持つ圧倒的な完成度と、
無報酬の上に成り立つ一般人たちと、
なにか得体の知れない温度。

そして、それは確かにいつも軽音部内の空気を和やかにしている。

羨望なのか、焦燥なのか、名前のない感情が
静かに自分を蝕んでいく。

「一種のヒエラルキーに耐えられない」
なんて理由の仮置き的ラベルを貼って、
僕はまるで何も知らない他人のようにベースの弦に指を触れていた。



テストの点数はいつも平均点以下。
最近だって成績評価で2を取った。

運動はあまり得意ではなく、
では芸術分野でも才能はなく、
上位的人間の下位互換、つまり
ただの木偶の坊として死を待つのみ。

「スーパー」とは無縁。

つまり、中途半端。



それに気づいた日、気づくと「それら」に蓄積された悩みを「それら」に僕の声という音でぶちまけていた。

謙虚が顔から漏れ出るような表情筋のかすかな動きも、心臓音もよく聞こえた。

「無理はしちゃうけど…自分の周りをよく見てくださいよ。」

「…周りですか?」

大量の煌めく楽器、精密機械。装飾として、窓から小さな黄昏の光が差し込んでいる。自分のリュックをみても、黒のケースが倒れていることしか分からない。

「あるじゃないですか、ベースが。」

「よかったら、弾いてください。」

唐突な命令に返答を返せない。黒のケースのチャックを外すと、なじみのあるベースが目に飛び込んでくる。

とりあえず、昨日覚えたコードを可視化するため、がむしゃらに弦を触れ、演奏した。自分がミスをしているかは気にせず。

相談してから徹頭徹尾、謙虚の天才は笑顔だった。




「…彼方からの低音、今日もこの時間にベーシストいるんだねぇ」

コーヒーを片手にドアの奥から自信の天才が歩いてきた。


秀才二人。単なるベースの使い手。





なぜだろう、低音なのに、ゾーンに入ってる気がする。天才が二人みているっているのに。緊張しているはずなのに。次第に音だけに焦点がいき、視界がぼやけてきた。

拙くも、世界が自分に漂着している。

しばらくして自分の脳は演奏に満足したらしい。
すると視界がぱぁと鮮明に開くと、目の前にいる観客は笑顔で見ているのが分かった。以前より窓から漏れ出るオレンジの光は強くなっていた。

「…君、部員のなかで一番早くきて、2ヶ月後の文化祭でやる曲の練習してるよねぇ」

あのとき。

「だから助かってるよ。…私ベース弾けないから」

「え、なんでもできるんじゃないんですか?」


「え?私だってできないことの一つや二つあるさ」

「私も裏方ばっかで楽器とか弾けませんし。」

始めて天才に人間味を感じた。
温かみを感じる。ベースに溜まった熱気ではない、もっと、心の奥深くまで伝わってくる。



そうして、無数の手垢のついた大切なものをケースに大事にしまい、帰路についた。

その古びた楽器は、僕の羅針盤になっていく。




【心の羅針盤】

8/8/2025, 12:21:43 AM