お題「街へ」
幼い頃から、毎月15日は街へ出かける日だった。
家の周りになんのお店もないことを不憫に思った母が、たまには街に連れてってやろうとその日をつくったのだと思っていた。
そのおでかけのルートはいつも一緒だ。
母とお昼を食べて、好きな服を買ってもらって、喫茶店で折り紙を教えてくれるおじさんと母の3人でお茶をして、家に帰る。
なんでいつも折り紙のおじさんがいるかは聞いていなかった。
この人だれ?と母に聞いても、折り紙を教えてくれる人よとしか言ってくれなかった。
何度か聞いてみたが、母が機嫌を損ねるだけで、何の収穫もなかった。
月一のお茶ではあったが、おじさんは親切で折り紙も上手だったので、わたしは結構おじさんのことが好きだった。
そんなある日のこと、母が「今日はおじさんには一人で会ってね」と言った。
わたしが高校生に上がったころの話だ。
毎回、母がおじさんのことを睨んでいたことは知ってたので、その言葉は、「お母さんはあの人に会いたくない」という意味だとはわかった。
なんで会いたくない人なのに、わたしには会わせるのだろう。
疑問には思ったけど、おじさんと二人でお茶をするのも悪くはないと思って街に向かった。
おじさんはいつもの喫茶店の、いつもの席に座っていた。
わたしが店に入ると、わたしを覚えてしまった店員さんが、おじさんのところに案内する。
「おじさん」
声をかけると、おじさんは柔らかい笑顔で、「チカちゃん、久しぶり」と言った。
「久しぶりって、先月も会ったじゃん?」
「おじさんにもなると、先月の話も昔になっちゃうんだよ」
「そういうものなんだ」
「そういうものなんだよ」
おじさんはいつものようにコーヒーを飲んでいる。
わたしもいつものように店員さんをよんで、ココアを頼む。
「コーヒーは飲めるようになったのかい?」
そう聞かれてわたしは目を逸らす。
そういえば先月会った時に、おじさんみたいにコーヒー飲めるように練習するという話をしていた。
わたしの様子から、うまくいってないことがわかったのだろう。おじさんは、「焦る必要もないし、飲めなくても問題ないよ」と笑った。
「おじさんは飲めるからいいんだよ、わたしは飲めないからいつまで経ってもオトナになれない」
「コーヒーが飲めるのがオトナってわけでもないさ」
おじさんもまだまだ心は子供のままだから。
小さく付け加えられたおじさんの言葉は、少し寂しげだった。
なんで寂しそうなのかはわからないけど、それをわたしが問い詰めるのは違う気がした。
わたしはおじさんから目を逸らして、先ほど届けられたココアに口をつける。小さい頃から変わらないその味は、この年になると少しだけ甘さが強いような気がした。
「お母さんは、どうしたの?」
おじさんが気まずそうに聞く。まるでお母さんがおじさんのこと会いたくないと言っていたのを知っているみたいに。
わたしは軽い調子で返す。
「今日は出かけたくない気分なんだって。おじさんより断然お母さんのほうが子供だよ」
「それを聞かれたら、ますます嫌われちゃうな」
おじさんは悲しそうに笑う。おじさんはお母さんのことが好きなのだろうか。でも人から嫌われるのは誰だって嫌だから、当然の反応なのだろうか。
「お母さんはおじさんのこと嫌いかもしれないけど、わたしは好きだよ」
わたしは笑った。ただの慰めに聞こえているかもしれないけど、それでもおじさんは少し嬉しそうに、ありがとうと呟いた。
「お母さんとおじさんは、どういう関係なの?」
ずっと母にはぐらかされてきた質問をおじさんに投げる。おじさんなら、答えてくれる気がした。
おじさんはまた悲しそうに目を細めて、コーヒーカップに目を落とす。
「お母さんからはなにも聞いてないの?」
「折り紙の先生ってだけ」
「当たりなような……ハズレなような……」
「いっつもはぐらかすの、でも、ただの『お友達』なわけではないでしょ?」
わたしの言葉におじさんは困ったように眉を下げた。
目をよろよろと泳がせて、口を開けたり閉じたりしている。言うかどうか迷っているようだ。
わたしは周りを見渡しながら呟くように、でもおじさんには聞こえるように言う。
「友達から聞いたけど、知らないおじさんと会ってご飯食べたりすることを『パパ活』って言うんだって。これも『パパ活』になっちゃうのかなぁ」
おじさんの顔が一気に青くなった。
おじさんが恐れているのが、自分の立場が悪くなることでも、わたしの外聞が悪くなることでもどっちでもいい。追い込まれれば言うはずだ。なにせ、押しには弱いおじさんだから。
おじさんは小さな声で言った。
「私は……チカちゃんの本当のお父さんなんだ。離婚してね。でも私がチカちゃんのことを気にしてたから……こうして会う時間をくれているんだよ」
お父さん?
わたしは自分のお父さんを思い浮かべた。
陽気で能天気で、よくお母さんに呆れられている。
ひとつひとつの動作がうるさいので、わたしはあまり口を聞いていない。
でも、あの人が本当のお父さんじゃないなんて、考えたこともなかった。
たしかにお父さんに似てるとは言われたことはないけど、片親にばかり似ることだってよくある。
お母さんもお父さんも、『再婚』であることを匂わせたことなんてない。
「……おじさんもそんな冗談言うの?」
「冗談じゃないよ……。目元、お母さんにもお父さんにも似てないって、言われたことないかい?」
目元。
そういえば親戚にそれを指摘されて、お母さんが機嫌を悪くしたことを覚えている。
そんなに自分に似てないことが不満だったのかと思っていたが、それはおじさんに似ているから嫌だったってことなんだろうか。
でも、おじさんが嘘をついてる可能性も。
一瞬頭に浮かんだが、おじさんが今まで私に嘘をついたことなんてないし、何より、お母さんがおじさんのことを話したがらない理由に納得がいく。
わたしはおじさんの話を信じることにした。
「私はまだチカちゃんと暮らしたいって、お母さんとよりを戻したいって思っているんだ」
「絶望的だね」
「お母さんに似て容赦ないねぇ……まあ、立派にチカちゃんが育ったのはお母さんとお父さんの手腕だから、実際絶望的なんだけどね」
私が引き取っていたら、君はどんな人生を歩んでいたかわからない。
悲しそうな声音に、納得がいった。
お母さんはハッキリしたことが好きだ。だからわたしにも、ハッキリした物言いを求める。
きっと、この人はそれができなかったんだ。
だから、お母さんに捨てられた。
可哀想な人だな。
他人事のように思った。まあ、わたしからしたら他人事なのには変わりない。おじさんの話も、お母さんの話も、全て他人の話だ。
「わたしが選んであげようか? おじさんのこと」
他人の話だと思っていたのに、わたしの口から漏れたのはそんな言葉だった。
わたしも驚いたが、もちろんおじさんも目を丸くしている。
言い訳のように、わたしの口から言葉があふれる。
「わたしはお母さんが再婚してたなんて知らなかったし、おじさんと別れたときなんてきっと赤ちゃんくらいだったんでしょ? そのときよりは断然分別つく人になったし、わたしがおじさんと暮らしたいって言ったら通るんじゃないの?」
「いや……でもそれは君がいまの生活を捨てるのと同じで……」
「前にここら辺に住んでるって言ってたじゃん。学校変わらないなら大して変わらない」
嘘だ。苗字も住む場所も変わってきっと大変なことになる。おじさんは独り身だし、生活は今までより厳しいかもしれない。
なにより、実のお父さんだとはいえ、今まで家族じゃなかった人と家族として暮らすのだ。
想像もつかないくらいのストレスだろう。
ココアのカップを持ち上げて口をつける。
自分の手が震えていることに気づいた。
「大丈夫だよ、おじさんがいい人で、わたしのことを忘れずに今まで過ごしてくれてたことはよく分かってるから」
おじさんに笑いかけると、おじさんの目が細められた。嬉しそうな、悲しそうな、よくわからない顔。
「優しい子に、育ったんだね」
おじさんはそれだけ言うと立ち上がった。伝票を持ってレジにいく。
わたしがその手を掴むと、おじさんはにっこりと笑った。
「来月からはもう来なくていいよ。立派になった娘を見れてよかった。これからも、元気でね」
するりとおじさんの手が逃げていく。わたしの手の力が抜けていたのだろう。掴むものがなくなったわたしの手は、そのまま下ろされる。
「来月も、ここで待ってる」
わたしは声を絞り出した。
会計を済ませて店を出ていくおじさんは、もうわたしを振り返らなかった。
次の月も、その次の月も、もうおじさんは店には来なかった。
おわり。
1/29/2023, 6:10:55 AM