故郷の田舎にしばらく滞在して、都会に戻ると気がつくことがある。
まず、自分の産毛。
あとは、小さな顔のニキビと、
歯の色。
だんだんと細部から広範囲に広がって、
骨盤がどうとか、
ちょっと肩が撫で肩気味だとか、
右だけ筋肉が張ってるとか、
ひとしきり問題点を挙げては、
金で解決できることを考える。
これは、都会がどう、田舎がどう、
とか、そういう話じゃなくて、
わたしにはいつもそういう変化がある。
そういったことをひとしきり丸ごと「なんとかした」ときに、
自分も満足するし、
見た目も変われば人の評価も変わっていく。
そしていつも、ずるりと自覚なしの底なし沼に、
承認欲求と内なる真っ暗闇に引き摺り込まれてゆく。
気になるのは「自分」しかいなくなって、
周りがどうでもよくなり、
それでも、以前の「私」よりきっとマシよと言い聞かせる。維持費に不安と葛藤を抱きながら。
ただそこには、確かに、「幸せ」を感じている。
そして、故郷の田舎に戻ると、
散々否定してきた「私」を求める人がいる。
化粧でもなく、体型でもなく、賢さでもなく、
産まれたんまんまの「私」でないことに、
違和感を持つ人がいる。
そういう人たちと話していると、
私の視点は外側に向いて行く。
お金も時間の使い道も、自分ではなく、周りの人と一緒に使いたいと思うようになる。
だんだん、産毛も体型も気がつかなくなって行く。
ただそれでも、私の心は幸せで満ち溢れている。
誰にもわからない、私の幸せ。
どっちも、私が喜ぶことに間違いはないけれど、
きっとどちらも私の「依存」。
いつか、私がどこにいたって、
変わらない自分になれるといいな。
私が私を保ちながら、
他人を素直な気持ちで愛したいことが、
私はどうしてこんなに難しいんだろう。
5/7/2025, 3:06:22 PM