Nito

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「あれ、久しぶりじゃん」
後ろから、急に声をかけられた。
想定していない方向からの声だったので、思わず、肩がビクッと震えた。
「あ、わりわり。ま、入って」
声の主は、顧問の永野(ながの)先生。
デカイ体ときれいな声の持ち主──ただし、専門の音楽以外は、からっきし……のタイプ。
どうぞ、と手で示されて、慌てて音楽準備室に入った。

「さて、お久しぶり。かっちゃん、いつ退院したの」
「半月前に……お母さんから、学校には連絡してもらったんですけど、先生のとこまで連絡まわんなかったんですね」
すみません、と頭を下げると、永野先生は、いやいや、と手を振る。
「で、前に、お母さん通じて伝えてもらってるはずなんだけど、キミの練習の件」
真面目な顔で、永野先生は続けた。
「練習…戻ってこれそ?ユーフォ隊、マージーで人足らんのだけど、吹ける?」

そうなのだ。
うちの吹部、人数が足りない。
夏に3年の先輩が引退したとたん、部員半減・戦力大幅ダウン。音はスカスカ技術はへっぽこ……「まずいぞー、来年のコンクール大丈夫?」って言われるタイプのブラスバンドだ。
先生は、「ステージを休まずに務められる」なら今まで通りユーフォ隊に置いてくれる、と言うのだけど、だけども、……今の私は病み上がりの難病患者。
しかもどうやら別の病気も発症してるらしいという面倒な人なので、確約が出来ない。

しばらく、無言になってしまった。
私は、ユーフォニアムが好きだ。ずっと、このパートで行くと思ってた。だけど……
「かっちゃん、どうやろ?ここは無理せず、パート移籍してリスタート……でやってみない?」

大学病院では、主治医の愛ちゃんにも
「美術部に移籍するってのは?絵、描くの好きでしょ?」て言われた。
でも、違うんだ。
絵を描くときの「楽しい」は“一人で自分の世界を遊ぶ楽しさ”、吹奏楽の「楽しい」は“みんなで心一つにハーモニーを作る楽しさ”だから、「楽しい」のニュアンスもベクトルも、全然違うんだ。
だから、「この部に在籍して前に進む」ことが、私にとって、一番大事だ。
大事なことを、譲れないことを見誤ってはいけない。優先すべきこと と妥協できること をきちんと見分けなければ。

……覚悟はきまった。あとは、行動あるのみ。
私は、音楽を諦めない。このまま、潰れたりなんかしない。
拳をきゅっと握って、先生に向き直る。
言葉が自然と飛び出してきた。
「はい、人数に余裕のあるパートに移籍させてください。経験足りないぶんは、練習頑張ります。だから、再スタートさせてください、お願いします!」

私は、吹奏楽が好きだ。
だから、ここでやっていく。
ここから、ずっと。
これからも、ずっと。


#これからも、ずっと

4/9/2023, 7:46:44 AM