Eric

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夏休み。
一年に一度、家族で旅に出る。
五人も子どもがいるものだから、
誰かが熱を出さないか、
妹の喘息の発作が起きないか、
見張ったところで、なんの効力もないのだが
兄弟の様子に変化が起きないか
じぃっと見つめる日々が続く。

そして無事に出発前夜を迎えると、
ティッシュを丸めて糸でくくり
てるてる坊主の集団を
カーテンレールに整列させることになる。

平成初期のあの頃は
梅雨明けとともに
入道雲がひっくり返りそうなほど
大きく高くそびえ立つものだった。

クーラーの効きの悪い三菱パジェロのルーフに
父がどこから調達したのか、
銀色に光る大きな金具を取り付け、
浮き輪やらゴムボートやらを詰め込んだ
大きなボストンバッグをくくりつけた。

長い長い渋滞を超え、
高速道路の向こうに海が見えれば、
私達の車酔いも一気に吹き飛び、
誰かが
♪うーみーはひろいーなと歌いだせば、
必ず5人の大合唱になる。
どの瞳も夏の光に透けて、
はしばみ色に瞬く。

助手席の母の満足げな微笑みと、
運転席の父の口笛が
私達をいよいよ勢い付かせ、
思いつく限り、次から次へ歌い続ける。

でもあの夏は。
目指す方向へ、走れば走るほど、
空が色彩を失い、
とうとうフロントガラスに
小さな粒がついたかと思うと、
驚く速さで、左右に走っていった。

ワイパーが早まる度に
私達の興奮は、面白いほど萎んでいった。
海が見えるはずの時にはもう、
打ち付ける雨で、外の様子は滲んで見えなかった。

ただ、車の走る音が大きいせいで
外界の雨は、無音で
どこかで別世界のようだった。
小さな弟妹はとうに眠ってしまい、
寝息だけがスースー温度を持って響き、
どこか、自分も夢を見ている気にさえなっていた。

タイヤが、リズミカルにアスファルトの継ぎ目で
低い音を立てる。
その音を聴く気持ちの準備をしていた
次の一瞬浮遊感を感じた。
父があっ。と大きな声を上げた。

ビクッと弟が目を開けた。
後ろ!と怒鳴る父の声で、
最後部に座っている私は、リアウィンドウに額をつけた。
紺と白のしましまの何かが
コロコロ転がり、雨にけぶって見えなくなった。
あっという間の出来事だった。

あれが、私達の浮き輪がパンパンに詰まったバッグだと思い出した時には、
妙に落ち着いて、諦めるしかないことを知っていた。

路肩に車を停め、
母がドアを開けたとき、
雨の匂いと大音量が、車の中まで侵入してきた。

そのバケツどころか、海をひっくり返したような
圧倒的な量の水に、その音に。
愉快としか言えない感情が湧き上がってきた。

あーあ。
大きな声で私が言うと、
姉も、あーあ。と応じた。

あーあ。
あーあ。
あーあ。
あーあ。

いえば言うほど愉快になった。




あの夏は。
台風が直撃した小さな民宿で。
窓ガラス一枚隔てた安全地帯から
荒れ狂いうねる波を、
父の8ミリで、ひたすら撮影して過ごした。

結局、撮った本人も吐き気を催すので
五分と見返されることなく
上書きされたのだと思うけれど。

退屈した記憶は一切ないのである。











5/25/2023, 4:21:54 PM