※スペース確保していた題材【どこにも書けないこと】を投稿しました
みんな、みんな、みんな。みんなって何だろうか、というも思う。学校の中の、全生徒?知っている人全員?それとも、宇宙に住むすべての人?おそらく、決まってはいないのだろう。言う側も、詳しくは決めて言っていない。決めずに、「みんなそうだよ。」と言うのだ。
慰められている、と感じる。「みんな」という単語を使う時、私は、二つの場合があると思っている。一つ目は、「私だけ、~なの。」という愚痴に対して、「大丈夫、みんなそうだよ。」と言うとき。このとき相手は「貴方だけがそうじゃないんだから、安心して。」と、私に『みんなと一緒』である事を教えて安心させようとしている。私はよく、こうやって友人に慰められている。
二つ目は、「私だけ、~なんだ。」という自慢に対し、「いや、みんなそうでしょ?」と言うとき。このとき相手は「貴方が特別なわけじゃない」と、私に『みんなと一緒』であることを求めているのだ。
二つとも、『みんなと一緒』という単語を出したが、上記の例からも分かるように、私は私もしくは周囲の人間が、普段それを求めているように感じる。
一つ目では、『落ちこぼれ』という言葉があるように、『みんなと一緒』でない事を私は良しとしていない。二つ目では、『特別』という言葉があるように、私は自分だけが違う事に誇りを感じているが、友人はそれに反感を抱いて、『みんなと一緒』であることを求めている。まあ、単に自慢話が嫌なだけな可能性もあるが...。だがしかし、日本では『みんなと一緒』でいる事、つまり協調性がより求められるのも事実だろう。
もうひとつわかる事と言えば、『みんなと一緒』ではない場合の捉え方が、蔑称としての『落ちこぼれ』『異端』などのマイナス思考や、敬称としての『特別』『優等生』といったプラス思考に二極化するという事だ。では、そこの違いは何だろうか。
例えば学校のクラスで、普段他の生徒は静かなのに対し、一人だけずっと発言をしているAさんがいるとする。この時喋る、喋らないの点で言えば、Aさんは『みんなと一緒』ではないのだろう。この時、貴方ならどう取るか?
恐らく、それはAさんへの好感度や、周囲がどれほど『みんなと一緒』を求めるかなど、多くの要素に起因するだろう。この場合Aさんは大して好印象も悪印象も持ってないだろうが、周囲はどちらにでも取り得る。そこが、私にとっては不思議で、しかし共感できるところだ。安心、協調、平均。『みんな』という言葉はとても深い。
題材【誰もがみんな】より
何時ものように書こうとすると「誰もがみんな照らし出されて」(今夜月の見える丘に/B'z)が頭をまわるものですから...
2/11/2026, 8:04:29 AM