海月 時

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「皆の為に死ねるなんて、何て光栄なの。」
そういう彼女は、泣いていた。

【ヒャクネンニイチド、ムスメヲヒトリ、ササゲヨ。
サスレバ、ムラノアンタイヲチカオウ。】
これは俺達の先祖が、かつて神と結んだ掟だ。心底馬鹿げていると思う。でも、そんな事を口に出してしまったら、この村では生きていけない。皆、神の奴隷なのだ。

「もう時期、百年だ。早急に、巫女を選ばねば。」
村の奴らが口々にそう言う。巫女というのは、神への捧げ物である娘を指す。今年の巫女、皆誰が選ばれるか分かっている。彼女以上に容姿も頭脳も器量も優れている者は居ない。でも、誰も言わない。本人に気付かれてしまえば、逃げられる可能性があるからだ。誰もが神を慕っているようで、誰もが神を恐れている。

「今年の巫女は、お前に決まったよ。」
長老が、一人の娘に告げた。彼女は微笑みながら言った。
「神様に仕えれるなんて、とてもありがたいわ。」
彼女がその言葉を言った瞬間、村の連中は手を叩いた。まるで、これから起こる彼女の悲劇を知らぬように。

俺は彼女に聞いた。
「お前は、怖くないのか?儀式で何が行われるか、知らないはずがないだろ?」
彼女は微笑みながら言った。
「怖くないわ。だって、神様の元に行けるんですもの。」
「神が本当に居るとでも?この儀式は単なる村の人口を減らす口実だ。」
「だとしてもよ。皆不安なのよ。だから私、皆の為に、死んであげるわ。」
彼女の顔から、笑みは消えていた。
「皆の為に死ねるなんて、何て光栄なの。」
彼女は泣いていた。泣き顔も美しいんだなと思った。
「俺はお前に笑って生きて欲しいんだ。…好きだから。」
「私も好きよ。でもね、私はこの村も好きなの。」

儀式当日。巫女装束に着替えた彼女は、片手に短刀を握りしめていた。そう、この儀式は巫女自ら首を切り、神に忠誠を誓うというもの。巫女は助からないし、きっと神の元には行けやしない。だからこんな馬鹿げた話、俺が終わらせないと。俺の手には彼女と同じ、短刀が握られている。
「やっぱり、来たのね。」
彼女はもう、泣いてはいない。
「頼むから、死ぬ時は俺の愛した君でいてくれ。只の村娘の君でいてくれ。」
「そう。なら、貴方が私を殺して。私が愛した貴方が。」
俺は短刀を彼女に突き立てた。俺は、泣いていた。滲む視界の中で、彼女が笑っているように見えた。俺は、自分の腹を刺した。

ただ君だけが犠牲になれば救われる世界よりも、ただ君だけでも生きている世界の方を愛したいと思った。そんな俺は夢見がちなのだろうか。

5/12/2025, 2:44:22 PM