アルバムを開くと、手書きのコメントメモともに数々の写真が並んでいた。
『3ヶ月。おくちがかわいい』
『1歳。お手て振り返してるところ』
『3歳。お菓子をお預けされてふてくされてる』
『5歳。保育園の前で』
それから小学校の入学式や中学校の卒業式。
数多の思い出が貼られている。写真のそばには必ずと言っていいほど、吹き出し形のメモやふせんが貼られていた。
「大事なものって、これのことだったの――」
病気で入院した母の、まだ話せた時に預かった『大事なもの』。
辿々しくなってしまった言葉で、「私の大事なものがあるから」と教えてもらった。実家の両親の寝室のタンスの引き出し、3段目。
そこには、アルバムや私たちきょうだいが幼い頃に使っていたものがしまってあった。
「こんなもの、捨ててしまっていいのに」
それは私が小学生の時に母に送った肩叩き券だった。
菓子缶の中に大事そうにしまってあった。
他にもミミズが這ったような字の幼い私たちからの手紙や、母の日に送ったプレゼントの包装に使われていたであろうリボンまで大切に取ってあった。
嬉しさと気恥ずかしさで、痺れのような感覚が腕を走った。胸の奥が熱くなる。
「あぁ……」
もっと会話をしておけばよかった。もっと感謝を伝えるべきだった。
言葉の代わりに涙が溢れていく。
いなくなってから知る、いた人の大切さ。
当たり前すぎる存在が有難さを薄れさせてしまっていた。いや、そんなのは言い訳にすぎない。
気恥ずかしさが先行していつも言えずにいた。
今言えてもしょうがないのに。けれど言わずにはいられなかった。
「おかあさん、ありがとう……」
抱いたアルバムの表紙は、母の好きな赤地に金色の縁取りで猫がデザインされていた。
12/10『ぬくもりの記憶』
あなたがいないだけで
わたしは温めてもらえる指先が迷子になるの
/12/9『凍える指先』
12/10/2025, 1:50:47 PM