はた織

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 小さい頃に、森へ出かけた覚えがある。家族みんなで車に乗って外出したのだろう。だが、何故森に向かったのか覚えていない。そもそも、本当に森に行ったのか分かっていない。
 夢現か、木漏れ日さえもない暗鬱な森林の下、私がはっきりと覚えているのは、道路のそばにあった猫の死骸だ。毛皮は破れ、赤黒く変色した内臓から白い骨がのぞいている。車に轢かれたのだろうが、傷跡がどうも何かの歯形に見えた。
「ライオンに食べられたかもしれない」
 幼かった私は本気でそう信じた。私の中で、森に潜む恐ろしい生き物はライオンしかいなかったのだ。
 近くにいた母親に言ったかもしれないが、向こうの返事を覚えていない。父親もいたと思うが、本当にいたのか疑わしい。二人の姿形が霧かがって見えないし、声も聞こえない。だから余計に、私のむなしい声が静かな森の中で響いて、脳裏に焼きついてしまった。
 結局、猫を弔わなかった。広大な森林の影に覆われた猫の死骸は、やがて蛆虫に食われて黒々と溶けていき、地面と同化して消えていったのだろう。
 寂しいとは思わない。むしろ、人知れず自然に見届けられて散っていく様は実に美しい。私も森の奥にある道路の端で倒れたら、あの猫と同じく死んでいくのだろう。消えていった小さなたましいに、わずかな希望を見出した。
 遺灰を海に流すのもいいが、森に撒くのもいい。生きるも死ぬも勝手次第と言わんばかりに、黙する黒い木々に見下ろされて包み込まれてみたい。
               (250509 静かなる森へ)

5/10/2025, 1:05:41 PM