こんな夢を見た。
そう言って君は見た夢を、楽しそうに語り出す。
柔らかな風に舞い上がる花びら。
青と白のコントラストが美しい空。
赤や黄に色づく色鮮やかな山々。
瞬きの音すら聞こえそうな煌めく星々。
特別な何かが起こる訳ではない。ただ過ぎ行く季節のほんのひと時を夢に見て、言葉として紡いでいく。
弾んだ声音が、静かな部屋に満ちていく。
「こんな夢を見た」
誰もいない、小さな公園に立っていた。
見上げた空の向こう側には、重い灰色の雲が広がっている。
雨雲だろうか。薄い青空を覆い隠して、雲は少しずつこちらに近づいてきているようだった。
はぁ、と息を吐いた。途端に息は白く曇り、空に昇って雲になっていく。
ゆっくりと雲が広がっていく。辺りは陰り、冷たい風が吹き抜けていく。
広がる雲を見ていると、息の代わりに空から細かな白い何かが落ちてきた。
手に触れた途端に溶けて、水になる白い雪。急に寒さを感じて、ふるりと肩を震わせた。
雨雲ではなくて、雪雲だったのか。
振り出す雪を見ながら、ぼんやりと思った。
体が冷えて、手足が悴んでくる。
早く戻らなければ。このままでは風邪を引いてしまう。
そう思うのに空を見上げたまま、体は少しも動かない。まるで雪に魅入られてしまったかのようだ。
立ち尽くす体に、雪が降り積もる。やがて寒さも感じなくなり、穏やかな微睡みにゆっくりと瞼が落ちていく。
体が雪に埋まっていく。冷たい雪に抱かれて、不思議と温もりを感じていく。
触れれば痛みを感じるほどに冷たいというのに、包まれればとても温かだ。
ふふ、と笑みを浮かべた。正反対の感覚が、楽しくて仕方がない。
視界が白に染まる。何も見えなくなり、瞼の力を抜いて目を閉じる。
暗いのに明るい。やはり正反対の感覚に、夢の中で眠りについた。
「夢を見ているって分かっているのに、眠くなるの。おかしいよね」
くすくす笑いながら、君は語る。
それに何かを言うことはない。何も言われないことを、君も気にすることはなかった。
「何だかまた、眠くなってきちゃった」
笑っていたはずが、次の瞬間には眠そうに目を擦っている。
いつものこと。また夢の世界へと落ちていくのだろう。
「今度はどんな夢が見れるだろう」
笑みを浮かべながら、穏やかに意識が沈んでいく。
次に目覚める時には、いつものように見た夢を語るのだろう。
どこか浮かない顔をして、君は目を瞬かせた。
口を開き、閉じる。いつもとは違い、言葉にするか否かを悩んでいるようだ。
目を閉じる。一度だけ深く呼吸をして、ゆっくりと目を開けた。
「こんな夢を見た」
いつもと同じ語り口。けれども淡々とした声音は、明らかに違う。
まるで人形のように、無表情で語り出した。
こんな夢を見た。
誰もいない旅館の入口で、一人佇んでいる。
客として女将を待っているのではない。況して女将として客を待っている訳でもなかった。
進むべきか、まだ止まっているべきかを悩んでいる。
旅館の中に入り奥を目指せば、もう後戻りはできない。進むための対価は決して軽いものではなかった。
迷いながらも、一歩旅館に足を踏み入れた。静まり返った館内はどこか虚ろで、無人であるからなのか、酷く恐ろしいもののように思えた。
立ち尽くす背を、風が押す。奥に進めと、半ば強引に足を進ませた。
旅館の奥にあるものは、とても恐ろしいものだ。それでいて、とても大切なものだった。
足は迷うことなく、旅館の奥へと進んでいく。入り組んだ通路を進み、階段を上り、そして下りていく。
そうして辿り着いた先には、大きな白くて黒い、ぼろぼろの扉があった。
少しだけ戸惑い、扉に手をかける。
熱くはない。ただざらざらとした手触りと、鼻をつく匂いがとても気持ちが悪かった。
鍵がかかっていないことは知っている。必要なのは扉をくぐり抜けて進む覚悟だと理解して、扉に触れる手が小さく震えた。
ここまで来てしまったのならば、後戻りはできない。だがこのまま進み続ける覚悟があるのかは分からなかった。
目を閉じ、深く呼吸をする。進みたいのか、止まったままでいたいのか。
触れる扉に熱はなく、ただの残骸だ。答えを求めても、何も得られることはないのだろう。
呼吸を繰り返す。悩みながらも目を開けて、扉を見据えたまま触れる手に力を込めた。
「そこで目が覚めた」
冷たさすら感じる無感情な声音で、君は語る。
「決めないと。次に夢を見る時までに」
決めないとと言いながらも、悩んでいる様子はない。決めてしまっているのだろうか。その表情からは感情は読み取れず、何を考えているのか分からなかった。
扉の向こうには、何があるのだろうか。所詮は夢だと思いながらも、気になって仕方がない。
「そこにいるの?」
小さな呟き。今まで淡々としていたのが嘘のように、悲しげな声だった。
ここにいるよ。泣きそうな顔をする君に、そっと囁いた。
「進めば会えるのかもしれないけど、一人はとても怖い」
手が伸ばされる。迷子の子供のように彷徨う手を繋ぐ代わりに、枕元に置かれたウサギのぬいぐるみを寄り添わせる。
怖くはないよ。ぬいぐるみを抱きしめる君に伝えるけれど、言葉が届くことはないのだろう。
君の目は誰も見ない。その耳は何の音も聞かない。
夢の光景を現実で感じることは、二度とない。
「寂しいよ」
ぽつりと呟く声に、ごめんねと言葉を返す。
寄り添えなくてごめん。擦り抜ける手で、頭をそっと撫でる。
「進めば、会える?」
分からない。眉を寄せて、首を振る。
見ているのが夢なら、会えないのだろう。けれど眠っている間に、心が現実の世界を彷徨っているのなら会えるのかもしれない。
瞼が落ちていく君の手に触れる。擦り抜けても、温もりが感じられるような気がした。
目を閉じる。君の気配が遠くなり、代わりに今はないはずの、冷たく暗い場所が近くなる。
目は閉じたまま。開いた所で何も見えず、何も聞こえない。
それならばもう少し夢の余韻に浸っていたかった。大切な人の側にいる夢。とても幸せな夢だった。
ふと、微かに音が聞こえた。静かなその場所に響く、軽い足音。
近づいてくる。迷いのないその足取り。もしかしたらの期待は、違っていたらの落胆が怖くて確認することができない。
足音が近づく。すぐ側で立ち止まり、膝をつく音がした。
手を取られ、何かを渡される。長い耳。ふわふわとした手触り。
大切なウサギのぬいぐるみ。
「やっと会えた」
嬉しそうな声と共に、強く抱きしめられた。
「ただいま。遅くなってごめんね」
二度と離れないように。しがみつく背に、重たい腕をそっと回す。
「おかえり」
見つけてくれてありがとう。
ようやく触れることができたことに、その温もりに笑みが浮かんだ。
20260123 『こんな夢を見た』
1/24/2026, 11:51:41 PM