瞳を閉じる。
何も考えず、ただ聴覚だけを研ぎ澄ます。
そうすると、より鋭敏に、より小さな音まで耳に入れることができる。
だと言うのに、私の部屋は味気ない。
時計の秒針が進む音と、耳を突くような静寂。私が立てる衣擦れも、何の温もりも与えてくれない。
あの人の部屋は賑やかだった。
安い扇風機がバラバラ鳴って、椅子が軋んで音を立てる。窓から入ってくる風で、観葉植物の葉がざわめく。生きている音に溢れている部屋。
うるさいくらいなその部屋が心地よくて、よく入り浸っていた。
けれど、もうあの部屋に入ることはできない。
薄いマットレスも、背表紙が日差しで色褪せた本も、ところどころに染みを作ったカーペットも、全て無くなってしまった。
部屋の主である自分よりも長い間いる私に、苦笑しながらも鍵を掛けないでいたあの人も、もう見ることはできない。
あの部屋だった場所を、私の部屋にした。それなのに、ちっとも温かくはない。
当初は煙草の匂いが染み付いていたのに、今では何の香りもしなくなり、大の大人にはちょっと似合わなかったクリーム色の壁も、塗り替えられて真っ白になっている。
閉じていた瞳を開いて、部屋を見渡した。
必要最低限の家具しかない、殺風景な部屋。耳だか記憶だか、あの人の声が聞こえる。
きっと、温かかったのは音だけではない。けれど、それに気付くには遅すぎた。
ひとまず、植物でも買ってみようか。
あの人の声を、まだ忘れないうちに。
お題『耳を澄ますと』
5/5/2024, 1:17:12 AM