『耳を澄ますと』
ふと何か聞こえた気がして耳を澄ますと、それは確かに人の声であった。
ブツブツ何か継続して話しているようだが、どう聞いても一人分。
誰かと電話でもしているのだろうか。
なんとなく気になって、声が聞こえてきた壁に耳を当ててみる。
「……やっぱ、うん……だね」
内容はわからないが、誰かと話しているらしい。
今まで隣の部屋からそんな声が聞こえてきたことなどない。
なのできっと、たまたま今耳を当てている壁の向こうに寄りかかって話をしているので聞こえて来たのだろう。
そう結論付けて壁から耳を離した。
勉強に戻ろうとしたが、時計を見ると午前二時過ぎ。
明日も仕事だ。
慌てて寝る支度を済ませ、ベッドへと滑り込んだ。
遠くでさぁさぁと雨のような音が聞こえた気がした。
(朝までにはやむといいなぁ)
ぼんやりとそんな事を思いながら眠りについた。
翌朝、起きて窓の外を見ると晴れ。
道路を見ても濡れた様子はない。
少しだけおかしいなと思いつつも、特に気にせず朝の支度を済ませ家を出る。
何気なしに声の聞こえた隣の部屋を見るが、特に変わった所もない。
あんな時間に電話してたりするなら、大学生の一人暮らしなのかしらと余計なことまで考えてしまう。
不意にピアノの音が聞こえてきた。
時計を見るとやはり午前二時過ぎ。
隣は音大生か、それともただの趣味か。
確かにこのマンションは楽器演奏禁止とはなっていなかったが、こんな時間は如何なものか。
文句の一つも言ってやろうかとも思ったけれど、相手が変な人だと困るので我慢してベッドへ潜り込んだ。
その日はピアノのせいで熟睡出来なかったのか、嫌な夢を見た。
車にはねられる夢。
そうそうない事かもしれないけど、何か虫の知らせかもしれない。
車には気をつけよう。
そう決めて家を出た。
なんだかとても不快な音がする。
そのせいなのか、頭が痛い。
ガンガン割れるように痛い痛い痛い。
「ねぇ、聞こえてる?」
近くで声がした。
見ると、知らない和装の男の人。
なんで勝手に私の部屋に入ってるの。
嫌だよ、やめてよ。
頭が痛くて声が出ない。
だからこくこくと頭を縦に振る。
「君はね、もう死んでるんだよ」
何でそんなひどいこと言うの。
やだやだやだ。
私はまだやりたい事もたくさんあるし、
やらなきゃいけない事もたくさんあるの。
まだ死ぬわけにはいかない。
だからお願い、やめてよ。
「だからいつまでもここに居ちゃいけないんだよ」
だってここは私の部屋だから。
色々燃やされちゃったから、
私の居場所はもうここしかないの。
なくさないで、やめて。
私の居るとこなくなっちゃう。
「死んだら、空に還るんだよ」
リーンと澄んだ鈴の音がして、不快な音が消えた。
目の前の男の人が優しく微笑んでる。
あぁ、もうここは私の居場所じゃなくなっちゃったんだなと理解すると、生前の記憶を思い出した。
夢じゃなかった。
車にひかれて、死んだんだ私。
それに気付かなくて、そのまま生活してるつもりだった。
おかしいね、私。
うん、もう大丈夫。
呼ばれてるのがわかる。
ばいばい、もう行くね。
私は空にとけた。
5/4/2024, 1:57:47 PM