※TRPG(CoC)での自PC(女性二名、一人ロスト済み)の、今まで書きたくてもずっと書けなかった話。
私には「澄(すみ)くん」という知り合いが居た。くん付けをしているけど、澄くんはれっきとした女性だ。私が一番親しくしていた人、といっても過言ではないかもしれない。
澄くんと出会った当時、私は大学院を卒業し、教授のお手伝いをしながらゆくゆくは教授という職に就けるようにと日々頑張っている時期だった。そして、教授のゼミのお手伝いを頼まれた際、そこのゼミ生としてその場に集まった生徒のうちの一人が澄くんだった。背がスラっと高くて、クールで理知的な表情をしていて、肩につくかつかないかぐらいの長さの黒髪を外ハネにし、片方だけサイドの髪を耳にかけていた。ピッタリとした私服のパンツスタイルからありありとわかる女性的な身体のシルエットが下品ではない程度にとても美しい曲線で描かれていて、姿勢も礼儀も正しくて。後から知ったことだが、澄くんは空手部に所属していたらしいので、姿勢や礼儀の正しさには大いに納得したのだけれど。
失礼かもしれないが、そんな澄くんへの第一印象は「イケメンな子だなぁ」だった。女生徒相手に本当に失礼極まりないとは自分でも思ったし反省もしたのだが、顔の作りがイケメンというよりは、澄くんの纏う雰囲気がイケメンというか、下手したらそこらの男子生徒よりも余程男前なのでは? というのが正直な感想だった。後になってその時のことを本人に話したら、「当たり前でしょう、そこらの男になんてそうそう負けませんよ私は」なんて言っていたっけ。あれ、多分澄くんは空手の腕前のことだと思って言ってたんだろうなぁ。
その後、大学を卒業した澄くんはまだ二十代半ばという年齢にも関わらず「昨今、最もリアリティ溢れるSF作品を手掛ける作家のうちの一人」としてそこそこの人気を博し、私も気付けば念願の教授職となっていたが、澄くんが卒業した後も私たちの交流はずっと続いていた。スマホでの遣り取りだけの場合もあれば、作品の参考にしたいという理由で澄くんに資料を貸し出すこともあったし、時々澄くんの執筆活動の息抜きも兼ねて一緒にランチに行ったり。元々は生徒と教師側の人間として出会ったのに、年齢も五つしか離れていなかったことが幸いしたのか、いつしか澄くんは元・教え子兼、人見知りで内気な私が心を開いて接することが出来る数少ない大事な友人となっていた。
そんな澄くんが、突然失踪したと······その話を聞かされた私は、あの時、一体どんな顔をしていたんだろうか。
あれから、数日が経過した。仕事の休日を利用し、私は澄くんが住んでいたアパートへと来ていた。一度大きく深呼吸をしてから、アパート内にある澄くんの部屋を目指し歩き始める。私のジャケットのポケットの中には、いつだったかに澄くんに貰った合鍵が入っている。「これ、持っててもらっていいです。田中さんに見られて困るようなものはないですし、お暇な時とか時間潰しとかにでも利用して頂ければ。どうぞ遠慮なく」なんて言いながら、澄くんはあっさりと他人である私に部屋の合鍵をくれたのだった。それだけ、私は澄くんから信頼されていたんだろう。多分澄くんのあの発言には言外に「困った時にはいつでも頼って下さい」という意味も含まれていたのではないかと思う。私は背が低く、力もなく、澄くんみたいに戦う術なんてものはほとんど持っていなくて、そんな私を澄くんは頻繁に心配してくれていたから。結局、「澄くんに迷惑かけたくない」という理由でこの鍵は今日に至るまでほとんど使用されたことはなかった。澄くんの部屋のドアに鍵を差し込みながら、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
久しぶりに訪れた澄くんの部屋は、記憶の中のものとほとんど変わっていなかった。恐らく、警察の方が先に部屋に入って色々調べた後なのだろうなとは思いつつ、私はそこまで広くもない懐かしいこの部屋をじっくりと時間を掛けて、美術展を見て回る鑑賞者のようにゆったりとした足取りで存分に観察していく。
キッチンの流しには、洗われることなく放置されたコーヒーカップ。澄くんはよくコーヒーを飲む人だった。作家という職業はどうにも生活習慣を一定に保つということが難しくなるらしく、また執筆意欲はあるのに睡眠欲が邪魔をしてくる時なんかも多いとのことで、家でも外でも基本的に飲むものは決まってブラックコーヒーだった。ブラックコーヒーを嗜みカップに口をつける澄くんは、とても絵になっていた。
澄くんが作業場としていた、小窓のついている壁に沿って向かい合うように置かれたデスクとチェアー。その真ん中には画面が真っ黒になっている一台のパソコンが置かれていて、周りには紙に書かれたメモ書きや取り寄せた文献・資料なんかが散乱している。これは、相当強いインスピレーションでも湧いて形振り構わずパソコンに文章を打ち込んでいたのかもしれない。そんな、澄くんの情熱が垣間見える場だった。
続いて私は、作業場の斜め後ろ辺りにある澄くんの本棚を眺め始めた。難しそうな本から流行りの文庫本まで、幅広いジャンルの本が納められていて、勿論澄くん本人が執筆し出版された本も全冊取り揃えられている。
私はその中の一冊に手を伸ばした。私が一番好きだと澄くんに伝えていた作品。大きな朱い鳥に夢の中で何度も何度も追われては食い殺されるという不思議な現象に巻き込まれた主人公が、仲間たちと共にその悪夢から逃れる方法を模索する話。読み進めていくうちに朱い鳥の生誕秘話だとか、追われて食べられるという行為以上のとてつもない恐ろしさをその鳥が秘めていたことが発覚したりなど、とにかくハラハラドキドキさせられるお話で、初めて読ませてもらった時は続きが気になりすぎて、食い入るようにノンストップで最後まで読み進めてしまった。興奮気味に澄くんに直接感想を伝えたら「田中さんが気に入って下さったのならよかったです。······もうあんな思いは懲り懲りですけど」なんて言っていたし、その後ランチに行くと何故かやたらと親の仇か前世の宿敵かのように鶏肉料理ばかり注文し食べるようになった澄くんが爆誕していて私は首を傾げたものだが、それも今となってはいい思い出だ。ああ、懐かしい。
そんなふうに過去に思いを馳せながら思い出の本をパラパラと流し読みしていると······一か所、違和感を覚える部分があった。とあるページとページの間だけ、妙に開きやすくなっている。そう、まるで読みかけの本に栞でも挟んだような······。
私は指を滑らせ、導かれるようにそのページを開く。そして、目を瞠った。そこに栞は挟まれてなどいなかったが、代わりに「田中さんへ」と手書きで書かれた封筒があったのだ。間違いなく、澄くんの字だった。私は焦る気持ちを頑張って鎮めようと心掛けながらも抑えきることが出来ず、バッと封筒を本から回収すると本の方は近くにあったソファーへ少し乱暴に放り投げてしまう。ごめん澄くん、と心の中で謝りつつ、少し震える指で封筒を開封しようとしたのだが、ピッタリと糊付けされたそれは手で開封しようとすると大変な大惨事になることが目に見えている。私はジャケットの内側のポケットからペーパーナイフを取り出し、慎重に、慎重に、封筒を開封していく。そうして綺麗に開けた封筒の中から折り畳まれた便箋を取り出し、両手で開いて文章に目を通し始めた。
『田中さん、お久しぶりです。最近なかなかお互いの予定が合わずお顔を拝見出来ておりませんが、元気にお過ごしでしょうか? 田中さんは真面目な方ですから、きっと毎日手洗いうがいなど欠かさず行っていることと思います。これからもご自分の健康を第一に、健やかに過ごしていって頂ければなと思います。
さて、この手紙を田中さんが一体いつお読みになられているのかはわかりませんが、これはいつかこんな日が来るかもしれないという一抹の不安の元、保険として田中さんに宛て、したためたものとなります。一体自分に何が起きてそうなっているのか、これを書いている時点での私にはまるで見当もつきませんし明確な答えを提示出来るわけでもないのですが、一つだけ確実なことは、恐らく私はもうその部屋に帰ることは出来ないだろう、ということです。自分の文字で田中さんにこんなことをお伝えするなど、出来ればしたくはなかったのですが。残念ながら、私の運命はそういうものだったということでしょう。
何年か前の田中さんの誕生日に、ペーパーナイフをプレゼントさせて頂いたことを覚えていらっしゃいますでしょうか? 護身用に、という名目でお渡ししたそれですが、本当にあの頃の私にとってあのペーパーナイフに求めることはそれだけでした。田中さんは私と違って小柄ですし、女性らしくか弱くて、その上にそんなにもお顔立ちが整っているのですから、絶対にいつか田中さんに寄ってくる悪い虫が出てくるだろうと、私は確信していました。幸い現時点では特にそういったお話はお窺がいしておりませんが、未来のことなど誰にもわかりません。いくら田中さんが心配だからといってジャックナイフなんてプレゼント出来ませんからね。ペーパーナイフぐらいだったら普段から荷物に忍ばせて持ち歩くことが出来るだろう、そして本当にいざという時が来た暁には相手の何処でもいいからそれで一突き出来れば逃げる隙も出来るだろうと。そんな思いを込めてお渡ししたそのペーパーナイフですが、やはりペーパーナイフはペーパーナイフらしくペーパーナイフとしての役割も一度ぐらいはきちんと果たさせてやった方がいいのだろうかと考えまして。田中さんならばきっと、この手紙が入れられた封筒を開ける際にあのペーパーナイフを使って下さったことだろうと信じています。これが私の自惚れだとしたら死んでも死にきれないですが、とりあえずこう伝えさせて下さい。そのペーパーナイフに本来与えられていた役割を正しく実行させて下さったこと、本当に厚くお礼申し上げます。
その他にも田中さんには伝えたいことが山ほどあるのですが、あまり長い手紙にするとそれだけ田中さんのお時間を取ってしまうことになりますので、まだまだお話ししたいですし自分から話を尽きさせること、非常に申し訳なく思う次第ではありますが、またいつか、田中さんがこちらにいらっしゃった時にはたくさんたくさんお話しをしましょう。ああ、それと······田中さんは酔っぱらったり情緒不安定になったりすると度々私に向かって「澄くん、私と結婚して!!」と半泣きで叫んでいましたが、田中さんにはきっと素敵な男性からのお迎えがありますよ。ちなみに、私より強い男じゃないと駄目ですからね。私が認めませんので。私と田中さんの結婚は······そうですね、来世辺りにでも是非実現出来たらなと思いますね。
それでは、田中さん。この手紙を見つけて下さって有難う御座いました。そして、今まで大変お世話になりました。教え子として、そして一人の友人として、私はいつまでも田中さんの幸せを願っています。最期のその瞬間まで、あなたの人生が幸福と安らぎで溢れていますように。』
最後まで手紙を読み終えた私は······その場に膝から崩れ落ちた。涙がボロボロと、坂道を下っていく小石のように私の両頬を次々と転がり落ちていく。
「ばかっ······バカぁ······! すみくんの、バカ······ッ!」
大事な人からの、最後の、心のこもった置き土産をギュッと抱き締め胎児のように蹲り、私は気が済むまで何度も何度も口から弱々しい罵声を吐き出しながら、枯れることを知らない涙を延々と流し続けた。
2/2/2025, 5:02:00 PM