お題【優しさだけで、きっと】
『諦念』
君は、走れメロスのあの「最後の一発」の意味を知っているだろうか。
激流を泳ぎ、山賊をなぎ倒し、沈む太陽を追い越して辿り着いたメロス。彼は親友セリヌンティウスと再会した瞬間、互いに相手の頬を殴り飛ばす。美しき友情の証明として。
けれど、考えてみてほしい。
もしメロスが途中で諦めていたら、セリヌンティウスは処刑されていた。逆に、セリヌンティウスがメロスを信じずに呪いながら死んでいたら、メロスの走りはただの滑稽な一人相撲に終わっていた。
いや、あるいはセリヌンティウスもまた、残酷な期待を抱いていたのではないか。
「来なくていい、メロス。君が裏切ることで、私は純潔な被害者として死ねる。君の心に、一生消えない杭を打ち込んでやれる。」
そんな、愛という名の加害。
彼らは、友情という名の、最も逃げ場のない呪いを掛け合っていたのだ。
「悪いな。俺が満足するために、お前を殺しかけた。」
メロスは、真っ赤に腫れた自分の拳を見つめて笑う。
彼はセリヌンティウスを救いたかったのではない。約束を破り、裏切り者として生き永らえる自分に耐えられなかっただけだ。結局のところ、彼を走らせたのは高潔な精神などではなく、肥大化した「自己愛」だった。
だが、それのどこがいけないのだろう。
他人のために自分を殺して走る善意は、どこかで必ず息切れする。
けれど、「自分が自分を嫌いになりたくない」という強烈なエゴは、心臓が破ける寸前まで脚を動かし続ける。
王は、その二人を見て絶句した。
そこにあったのは、清らかな絆ではない。泥をすすり、エゴを剥き出しにし、それでも「相手を信じている自分」を貫き通そうとする、救いようのない人間の執着だった。
頬を打った手のひらに残る、熱い痺れ。それは、互いのエゴが衝突した瞬間の火花だ。
優しさの本質は、共感ではない。
それは、自分のエゴを、誰かの存在と分かちがたく結びつけてしまうという『諦念』だ。
「君を助けたい」のではなく、「君を助けない自分を、私が許せない」という傲慢。その傲慢さだけが、時に死神の手から誰かを奪い返す。
メロスは、セリヌンティウスの肩を借りて立ち上がる。
二人の足元には、夕陽が長く、黒い影を落としていた。
彼らはもう二度と、無垢な友には戻れない。
走ることは、逃げることだ。
自分という名の、最低で、最高な人間から逃げ出さないために。
愛は、呪い。
5/2/2026, 12:35:55 PM