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ずっと隣で、貴方の声を聞いていたかった。

貴方と初めて出会った時、挨拶も自己紹介も端的で、なんてつっけんどんな人なんだろうって思った。

どこか人と壁を作るようなその態度は、自分の領域には踏み込ませないという無言の圧力にも感じて、まだ若かった私は貴方のことが少し怖かった。

きっと、孤高な人なんだろう。

そう、頭では理解できても、もう少し…と思ってしまう自分がいた。
もう少しってなんだろう?と一瞬疑問に思ったけれど、若い思考は直ぐに自己反省の世界へと向かっていた。

次は気をつけよう。
今回はお仕事の関わりでしかないのだから。
お仕事は、お仕事。プライベートはプライベート。
ちゃんと分けて考えられるのが大人。
もしかしたら、向こうもそのつもりだから、つっけんどんなのかもしれない。
仕事は友達を作る場に非ず。そういう考えの人なのだ、きっと。

そう自分の中で落とし込んで、私は貴方との仕事に向き合うことにした。

それなのに。

お仕事で会えば会うほど貴方の魅力ともいうべき、新しい顔が見えてくる。
知識豊富かと思えば、一般的なことが抜け落ちていたり。一瞬のことさえ逃さないスマートさがあるのに、すぐに忘れてしまったり。凄いものを作る一方で、へなちょこなものが好きだったり。
目まぐるしいまでのギャップに何度驚かされたか。
初めはつっけんどんだった貴方が、時を重ねるたびに、はにかむような笑顔を見せてくれるようになった。終いには、冗談を言い合える関係に私達はなっていた。

言葉と言葉を重ねていくうちに貴方の本当の姿が、私には見えていた。
つっけんどんな仮面の後ろにある貴方は、シャイで優しい人。

お仕事の関係って割り切っていたことも忘れて、私は貴方の声に耳を傾けていた。

でも、忘れてはいけなかった。
これは、お仕事。

始まりがあれば終わりは必ずある。
何事もそうなのだから、お仕事もまた然り。

貴方とのお仕事最終日。
最後の日だったのに、貴方は来なかった。
どうしても外せない仕事の方へ貴方は行ってしまった。

ポカリと胸に穴が空いた感覚をまだ覚えている。
仕事仲間たちがくれた花束に隠れて零した涙も。

まだまだ隣で貴方の話しを、声を聞いていたかった。
最後まで冗談を言って笑いあいたかった。
ちゃんと感謝の言葉やお別れの言葉を言いたかった。

でも、もしかしたらって今でも一つの希望を抱いていることがある。

あの時、貴方は敢えてお仕事を理由に、私とのお別れの言葉を言う事を避けていたのかもしれない。

お別れの言葉を言わなければ、お別れじゃないから。

なんて、子供みたい?
でも、貴方ならイタズラがバレた子供みたいに笑うでしょうね。

なんとなくだけど、十分想像出来てしまう。
貴方はシャイで、優しい人だから。

貴方とのお仕事から時は流れ、沢山の変化を受け入れながら、今日も私は生きている。
貴方の隣で、貴方と言葉を重ねて、貴方の仮面の下の素顔を見ることが出来た──私のささやかで鮮やかな人生の1ページを大切に抱えながら。

3/13/2024, 1:03:30 PM