美坂イリス

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 八月三十一日、午後五時。海から吹く風は少し冷めて、穏やかに私の髪を揺らしていた。
「……夏、終わっちゃうね……」
 明日からはまた、いつもと変わらない喧噪の中で過ごすのだろう。今までの何年も変わらず、これからもしばらくは同じように。
 まあ、それにしても。
「本当に、今年の夏も何にも出来なかったな……」
 思い返してみても、今年の夏も何も新しいことなんて出来なかった。やってみたかったことも、変えてみたかったことも。出来たことなんて、結局は朝ゆっくり起きて、蝉の騒がしい昼はエアコンの効いた部屋でごろごろと転がって、星空に虫の声が消えていく夜は扇風機の前でとうもろこしをかじって、明日こそは、と思って布団を蹴っ飛ばして寝て、それの繰り返しだ。
「……でもさ」
 ふと思う。

 これは、きっと何でもなくて、だからこそ、大事な毎日なんだろうな、と。……かと言って、自堕落な生活を続けていい、って言い訳にはならないだろうけど。

 けど、それでもいいんだろうね。

 小さく、誰にも届かないくらいに小さく呟いたその言葉は、一瞬吹いた強い風に流されて、空へと消えていった。

9/1/2025, 8:38:03 AM