sairo

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――どうしよう。

不安げな聲に、顔を上げた。
時計を見れば、夜の十一時を過ぎている。何かあったのかと、意識を集中させる。
彼女の心の聲は、日に日に強く感じられるようになってきていた。今更意識を集中させる必要はないが、いつの間にか癖になってしまっている自分に苦笑する。
本当ならば、聞くべきではないのだろう。彼女が助けを必要としている時にだけ聞き取れるのならそれが一番だ。そうは思うのに自分のこの生まれ持った能力は儘ならず、それでいいとすら思うようになってしまった。

――割れちゃった。

今にも泣き出しそうなか細い聲。眉を寄せ、カレンダーに視線を向けた。

二月十四日。
明日は土曜日で学校はない。そんなどうでもいいことを思いながらも、日付から目を逸らせない。

「バレンタインか」

思わず呟いた。口の端が持ち上がるのを止められない。
彼女とは明日会う約束をしている。果たして気づかない振りができるのか、彼女が切り出す前に余計なことを言ってしまわないかと、浮ついた思考が止まらない。
割れたというのは、きっとチョコレートのことだろう。また作り直すのか、それとも割れたままのチョコを渡されるのだろうか。
きっと落ち込んでいるのだろう。今すぐ気にするなと連絡をしたいが、それでは聲を聞いていたことが丸わかりだ。バレンタインチョコを楽しみに盗み聞きをしていたようで、恰好がつかない。スマホに伸びようとする手を握り締め、必死に衝動を抑え込む。
もう寝てしまおう。どちらになるのか分からない楽しみはあった方がいい。彼女の聲から意識を逸らしつつ、電気を消してベッドに横になる。
遠足前の子供のように浮かれながら、目を閉じた。

――食べちゃった……どうしよう。

聞き逃せない聲が聞こえた。反射的に目を開け、体を起こす。

「食べた……?」

嫌な予感が胸を過ぎた。

――仕方ないから、忘れた振りをしよう……大丈夫。ずっと忘れてたって思ってれば、きっとバレないはず。

浮かれていた気分が一気に萎む。彼女らしいと言えば彼女らしいが、それでもどうしてという不満が込み上がる。

「明日、どんな顔して会えってんだよ」

苛立ちを溜息と共に吐き出せば、空しさが残ってしまう。
彼女は自分が心を覚れると理解して、忘れた振りをしようとしている。それなら自分も聞いていない振りをしなければ、彼女の努力が台無しになってしまう。
もう一度大きく溜息を吐いて布団を被る。目はすっかり冴えてしまったが、無理矢理に眠ることにした。



「ごめん!待った?」
「別に」

駆け寄る彼女を一瞥し、一言返す。
内心で舌打ちする。機嫌が悪いと思われていないだろうか。いつもならば気にならないことがやけに気になってしまう。

――怒ってる?でもいつもと変わらなそうだし……もしかしてまだ気づいてないのかな。

聞こえてくる聲と、そわそわと落ち着かない彼女の気配に眉が寄る。溜息を吐いて、彼女に視線を向けた。

「あからさまに何かありますみたいな雰囲気を出されても困るんだけど」
「あ、えっと、その……」

途端に視線が彷徨う彼女に、もう一度溜息を吐いてみせる。びくりと肩を揺らすが何かを話す様子はない。彼女の聲もどうしようと繰り返すばかりだ。
このままでは、いつまで経っても何も進まない。仕方がないとポケットに手を入れ、小さな箱を取り出した。

「これやる」
「え……?」

軽く放り投げれば、彼女は慌てたように両手でその箱を受け取った。一応綺麗にラッピングされている箱とこちらを交互に見て、戸惑うように眉を下げた。

「開けてみれば?」
「え、いいの?」
「好きにすればいいだろ」

また不愛想に返してしまった。だが彼女は箱の方が気になる様子で、迷いながらもリボンを解いていく。
丁寧に包装紙を剥がし、箱を開ける。中に入っていた蝶の髪留めを見て目を見開いた。

「これって……」
「この前遊びに行った時、ずっと見てただろ」
「っ、ありがとう」

微笑む彼女からさりげなく視線を逸らす。聞こえる聲はとても嬉しそうで、気を抜けば口元が緩んでしまいそうだ。
折角のバレンタインを何もなく終わらせるのが嫌で別に用意していたものを持ってきたが、喜んでもらえたようで安堵する。別にチョコレートにこだわる必要はなかったと、一人満たされた気持ちで彼女を見た。

「何?気に入らなかった?」
「そんなことはないよ!ただ……」

慌てて否定するものの、さっきまで笑っていた彼女の眉が寄っている。何故プレゼントを貰えたのかが分からず、戸惑っている聲が聞こえてきた。
確かに急すぎただろうか。バレンタインのプレゼントだと伝えてもいなかったと思い出し、やってしまったと密かに息を吐いた。

「今日、バレンタインデーだろ。元々誕生日プレゼントにしようかと思ってたやつだったけど、チョコ代わりにいいかなって持ってきたんだよ」
「え……」

一瞬不思議そうに目を瞬いた彼女は、次の瞬間には泣きそうに顔を顰めて持っていた鞄を漁り始めた。そして中から手のひらサイズの袋を取り出した。

「これっ!」

押し付けられるような形で袋を渡される。可愛らしいピンク色のリボンの巻かれた透明な袋の中には、少し形の崩れたチョコレートやクッキーが入っていた。
明らかに手作りのお菓子に目を瞬く。昨日食べたと言っていたはずなのに、いつ作ったのだろうか。

「ハッピーバレンタイン。驚かそうと思って必死に忘れたとか頭の中で考えてたのに、全然うまくいかなかった」

俯きがちに彼女が言う。何故そんな反応をするのだろうか。訳も分からず手にしたバレンタインのプレゼントを見ていると、泣きそうな彼女の聲が聞こえてきた。

――どうしよう。変なことを考えてたから、私のお誕生日に一緒に過ごしてもらえなくなっちゃった。このまま嫌われちゃったりとかするのかな……。

予想もしていなかった聲に硬直する。嫌うはずなどないのに、彼女は何を考えているのだろうか。
思わず溜息を吐く。びくりと肩を揺らす彼女は、今にも泣き出してしまいそうだ。

「馬鹿なことを考えるのを止めろ。それを覚る俺の気持ちにもなれ」
「でも……」
「まず、俺がお前を嫌いになる訳はないし、お前の誕生日は一か月も先だろうが。その時には別のプレゼントを用意してちゃんと祝ってやるから、それ以上嫌われたくないとか繰り返すな」

手を伸ばして彼女の頭を撫でる。それだけで泣きそうだった顔がふわりとした笑みに変わった。
頭を撫でていた手を取られ、繋がれる。そのまま軽く手を引かれ、隣に並んで歩き出した。

「今日はどこに行くんだ?」
「公園、とかかな。一応味見はしたから大丈夫だとは思うんだけど、チョコとクッキーの感想が聞きたいから」

何気ない振りをしているが、味の感想が気になって仕方がないのだというのが態度から分かる。
相変わらず分かりやすい。堪え切れなかった笑みが浮かんで、袋を見た。

「正直な感想しか言わないから、覚悟しとけよ」

そう言いながら、きゅっと繋いだ手を握る。
素直になれない自分も相変わらずだ。
本当は自分のために作ってくれたお菓子を食べるのがもったいないと思っていることを、いつ彼女に言えるだろうか。



20260214 『バレンタイン』

2/15/2026, 5:12:02 PM