──『私の日記帳』。
あまりにも分かりやすい題名が記載された帳面を見つけたのは、母の葬式が終わって、遺品整理に取り掛かった数日後のことだった。(ただし題はあらかじめ印字されたもので、母がそう記したのではない)
私は気恥ずかしさや罪悪感や好奇心と言ったものをさして感じることなく、無遠慮にその表紙をめくった。
(まあ、こんなことだと思った)
綴られていたのは、母が再婚した夫以外に愛していた男との恋愛記録であった。「こんなに好きになった人はいない」「私も彼も、どうしてもっと早く出会えなかったんだろう」「あの人の家庭のことを考えると胸が引き裂かれる」。そんな小娘じみた事ばかりが書かれていたが、私に嫌悪の類いの感情は一切沸き起こらなかった。むしろ生前の母の私への関心の無さを思い返せば、当然と言える内容だった。
「何か気になる物でもあったかい?」
振り向くと、母の再婚相手、つまり私の継父が立っていた。どっこいしょと言いながら私の後ろへ座り込む。
「ううん、みんな捨てちゃっていいと思う」
私は手にしていた帳面を放り投げるようにして、継父、永四郎に向き直った。
彼は四十五という歳を知ってもなお、それよりずっと若く見える外見をしていた。けれど私と二十も違うから、醸す雰囲気はやはり経験を重ねた男性の堂々たる貫禄がある。
「本当にいいのか?」継父は畳に転がっている母の衣類を興味無さそうにいじくりながら言った。
「いいの」私は母が亡くなった事にかこつけて甘えた声をだす。「いいのよ、母の物は、もうこの家にはいらない」
「……そうか、わかった」継父は遊ばせていた指の動きを止めた。
ああ、お母さん、やっぱり私たちって母娘なんだわ。
人のモノが欲しくて堪らなくなってしまう、この悪癖。
背中に回された男の腕の熱が、衣服を越して肌を焼く。
「永四郎さん、好き」
私はかつての継父であり愛人であり、今は恋人となったひとの名前を心の底から愛おしげに呼んだ。
「僕もだよ」
それは同時に、彼が私のモノになってしまったことを現す。
私もいつか、母のように日記をつける日がくるのだろうか。
▼私の日記帳
8/27/2023, 12:10:41 AM